もと多気郡根倉村字東川にあり、「八王子」と称されていた、明治5年に「国乃御神社」と改称された。 明治41年3月27日に北藤原鎭座畠田神社に合祀され、同社はさらに、同年8月13日中村(明和町大字中村)へ移転された。 旧社地は、近鉄斎宮駅から北北東4.6kmの地点にあり、「根倉神社」と同じ境内に鎭座していたらしく、「延喜式内国乃御神社」「延喜式内根倉神社」の石標が並び建つている。社殿の跡地には、小祠が建てられ、鳥居、石燈籠はそのまま残されている。 |
畠田神社 行事(6月)茅の輪神事(9月)毎年収穫時期には、当社拝殿に篤志農家から新穀の稲束(カケチカラ)が奉納されている。また9月25日には、カケチカラ発祥地(多気郡明和町根倉笹笛地区)にて新穀を奉納し、奉告祭を斎行している。(12月)注連縄奉納、かがり火奉納、年越し甘酒授与。平成22年、拝殿を新しく造営致しました。今年も周辺の田んぼは綺麗に刈り取られて、美味しいお米が収穫されました。春には美しくなった畠田神社へお参り下さい。駐車場の桜も綺麗です。 由 緒 当社の創始は明らかでないが、『延喜式神名帳』に「畠田神社三座」と記載されている事から、延喜年間(901〜923)には存在していたと推測される。また『倭姫命世記』に命(ミコト)が佐々牟江巡行の折、真名鶴が飛来して稲穂を咥えるのを見て「八握穂社ヲ祀ル」とあり、のちに根倉神社と改称し合祀されている。この真名鶴伝説では、当地が古くから米の産地であり、神宮の神嘗祭の発祥地であると伝えられている。 三重県神社庁 |
國乃御神社 国乃御神は久爾能美加美と訓べし〇祭神土之御祖神、(考証、俚諺)〇土古呂村に在す、(同上)〇考証云、儀式帳根倉社、二所神殿其一乎、 連胤按るに、齋宮式祈年祭小社九十八座、多氣郡の中に当社を戴せずして相鹿社といふあり、此疑らくは同社異名歟、猶考ふべし、 神社覈録 |