国生神社
くなりじんじゃ
鳥墓神社 に合祀
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   【延喜式神名帳】国生神社 伊勢国 多気郡鎮座
          (合祀)宇尓神社

   【現社名】鳥墓神社に合祀
   【住所】三重県多気郡明和町蓑村字鳥墓
       北緯34度31分6秒,東経136度37分51秒
   【祭神】倉稲魂命・須佐之男命
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】由緒不詳
        明治41年6月、明和町明星の素盞鳴命神社(明星神社)に合祀された
        昭和21年6月分祀

   【関係氏族】
   【鎮座地】この地が当初鎮座の地とする
        明治41年6月、明和町明星の素盞鳴命神社(明星神社)に合祀された
        昭和21年6月分祀

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「天王社」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

多気郡蓑(みの)村の天王社が継承社との説がある。鳥墓神社には社誌あって孝徳天皇の代に神痔が山田原に移されたあとに国生神社と宇尓神社が創建とある。
鳥墓の天王社は維新後鳥墓神社と改称した。
さらに、明治41年6月、明和町大字明星の素盞鳴命神社(後、明星神社)に合祀されたが、現在は旧社地に復興され、鳥墓神社として奉祀されている。
国束山山頂にあった天台宗国束寺の奥院と称された白山権現が論社とする説もある。
また、多気郡下楠(しもくす)村の産土神八王子社を論社とする説もある。


鳥墓神社

鳥墓神社(別名天王森羽根美社)
  由緒
 式内国生神社 祭神 倉稲魂命 須佐之男命
 式内宇爾神社 祭神 埴安神
人皇第十一代垂神天皇ノ御宇天照皇大神五十鈴川上ニ御鎮座ニナリ宇爾郷鳥墓村ニ神ガ置レ度會多氣ノ神郡ノ正税(稲穂)ノ徴収ガコノ地ニテ行ワレタ
孝徳天皇ノ御代ニ神ガ山田原ニ遷サレタノデソノ遺址趾ニ国生神社及ビ宇爾神社ガ創建サレタ
何レモ延喜の儀式帳ニノセラレタ古社デアル後時代ハ不明デアルガ両社ノ名称ハコノ由緒アル地名ヲトツテ鳥墓神社ト改メラレタ
明治十四年ニハ世古村ノ八柱神社ヲ當社ニ合祀セラレテ今日ニ至ツタ
昭和45年9月吉日

社頭掲示板



鳥墓の神痔跡

明和町指定文化財
昭和58年1月
この地は、垂仁天皇の御代、紀元前6年内宮が伊勢の五十鈴川の川上、現在の地におまつりされたときから伊勢神宮の神痔の置かれたところであります。神痔とは神宮の役所であり、孝徳天皇の大化5年(649)までつづきました。
明和町教育委員会

社頭掲示板



國生神社

國生は久爾奈利と読り○祭神詳ならず、○宇爾郷蓑村に在す、(俚諺)
類社
当國度會郡狭田國生神社の條見合すべし

神社覈録



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順悠社