社伝では万寿2(1025)創立とするが、これでは神名帳の時代より下ることとなる。 もとは「熊野三社大権現」「十二社権現」ともいわれ、明和町養川の集落の北西に旧社地があり、石垣・石燈籠が残され、「石田神社旧跡」の石標もある。 明治38年12月18日には、同村の無格社宇気比神社及天神社が石田神社に合祀され、さらに、当社は、明治41年3月27日、北藤原鎮座畠田神社に合祀され、同年8月13日、中村(明和町大字中村1029番地)へ移転された。 高木村の産神(現在は神垣神社に比定)を論社とする説もある。 さらに、有爾村鎮座(現有爾中)、濱田村鎮座、とする説もある。 |
石田神社 石田は伊波多と訓べし〇祭神詳ならず〇養田村に在す、(俚諺) 類社 山城國久世郡石田神社の條見合すべし 神社覈録 |