宮川の最下流域左岸の河岸段丘上に位置する。 倭姫命巡行の「磯宮」あるいは「伊蘇宮」という行宮の跡に建てられたのが、当社「磯神社」の起源であると伝えられている。 近世期には伊蘇郷磯村の産土神として「八王子社」と称されていた。 明治になつて「八王子社」は「磯神社」と改称され、明治8年、郷社に列せられた。 |
伊蘇宮 『神名秘書』には「伊蘇國伊蘇宮、在多無郡逢鹿村字古宮本古宮処也、機殿相去十五里許云々是則御麻圃四処内也」といふ書入れがあり、その旧跡を多氣郡逢鹿村の古宮の地に比定してゐる。本居宣長も、磯宮と磯神社の関連を認めつつも、磯宮は度會郡ではなく「多気郡の相可郷のあたりなりとも云へり」(『古事記博』)としてその判断を留保してをり、また荒木田経雅は多気郡の伊蘇上神社の存在に注目してゐる(『太神宮儀式解』)。これらに対し、「磯宮」・「伊蘇宮」と「磯神社」との関連性を主張したのは御巫清直で、それは當社の地勢や、古老の傳承をふまへた上での判断であつた(『太神宮本記帰正鈔』・『二宮管社沿革考』)。ともかく當社については『神名式』以外に確たる史料を欠き、出口延経の『神名帳考証』には、「磯神社、倭名抄云、伊蘇、今云磯村八王子社乎」と記されてゐる如く、近世期には伊蘇郷磯村の産土神として「八王子社」と称されてゐたやうであり、あるいは又、『勢陽雑記』『背書國記』『式内案内記』などには「磯村二坐テ権現ト称ス」ともみえ、「権現」なる社もあつたらしい。「此社今伊蘇郷磯村ノ権現祠ノ域内北方ニ在テ、里民産神トシ八王子ト唱フ」、御巫清直が『二宮管社沿革考』に述ベるところであるが、南に「権現」、北に「八王子社」の社殿が隣接してゐたやうである(『太神宮本記帰正鈔』)。そしてこの「八王子社」はもと「宝殿ノワキ」と字する地にあつたが、後に「権現」の域内に遷した由である。「八王子社」が式内社の「磯神社」であり、『外宮子良館旧記』の延徳2年(1490)條にもみえる「権現」こそが行宮の遺跡であるとするのが御巫清直の見解である。 式内社調査報告 |
由緒 当社の創立は垂仁天皇25年3月と伝えられている。 当社の由緒は『内宮儀式帳』『倭姫命世記』『神名帳考證』『勢陽雑記』『案内記』等の諸書に見られるが、それによれば、垂仁天皇の御世に倭姫命が天照大御神を奉載して諸国を経歴し、伊蘓国(伊蘓郷磯村の辺り)に行幸なさった時に、そこに行宮を造営して皇大神を安鎮奉斎し、伊蘓宮或は磯宮と称したのが、その創祀である。 そして天照大御神が宇治郷五十鈴川上の現在の地に御遷座された後も、伊蘓国の行宮の遺跡を磯神社と号し、信仰を集めたという。 『延喜式神名帳』にある伊勢国度会郡の磯神社がこれである。 しかし、後年、宮川の洪水のため、旧地は崩壊してしまったため、今の社地である権現林に移遷したというが、その年月は不詳である。 又その古跡は宝殿の脇又本殿の脇と号されたとも言われている。 明治41年には、境内社清濱神社、無格社本殿社、無格社白山社、無格社山神二座を合祀し、今日に至っている。 当社の特殊神事として、先述の如く、2月11日の獅子舞が古式ゆかしく斎行されているが、その獅子舞に用いられる獅子頭は、制作年代こそ不詳であるが、箱書に「元禄十丑丁念日天子八王子正月吉祥日」とあることから推察しても、由緒のあるものであり、当社の社宝として大切に保管され、継承されている。 磯神社考證 「社記に云う」 三重県管下伊勢国度会郡磯村字権現前(旧権現林)1069番地 一、祭神 正殿一座 天照大神御霊 相殿二座 豊受毘賣神 木花佐久夜毘賣神 一、合祀祭神 境内社清濱神社 宇都志國玉神 白山社 菊理姫神 山神二柱 大山津見神 一、由緒創立 垂仁天皇25年3月(約2000年前) 垂仁天皇の御世に天照大神を倭姫命に奉戴せしめて諸國を経歴せられし時玉フ伊蘇國に行幸あり、今の伊蘇郷磯村の辺を謂う。其の地に行宮を造って皇大神を安鎮奉斎し、伊蘇宮、亦磯宮と稱す。然して皇大神は宇治郷内宮に御鎮座ありし後もその行宮の遺跡を磯神社と唱へて延喜式神名帳官社の列に入れらる。 本社即ち是なり。但し、旧地は後年宮川洪水にため崩壊せるに依って今の社地権現林に年月日不詳移遷し古跡を宝殿の脇と号す。明治41年2月18日境内社清濱神社、無格社本殿社 無格社白山社 無格社山神二座合祀するの許可を受け同年3月3日合祀執行す。 戦後宗教法人により昭和21年5月10日三重県知事に届出宗教法人「磯神社」となり今日に至っている。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
磯神社 鎮座地 三重県伊勢市磯町字権現前1069 祭神 天照大神 ・豊受毘売神・木花佐久夜毘売神・宇都志国玉神・菊里姫神・大山津見神 祭日 2月11日 お頭神事 4月21日 例祭 社宝 獅子頭(元禄10年(1697)箱書銘) 境内 927坪・境外1137坪 氏子 146戸 由緒 創立は崇神天皇25年、倭姫命が天照大神を奉じて、当地の行宮に留まられたとき、そこを磯宮と称しました。大神が宇治の五十鈴川のほとりにご鎮座の後は、磯宮を磯神社と称し、延喜式内社の一つとして古くから広い信仰を集めてきました。 なお近くの字下条には神宮大宮司大中臣公宗(在任1141−1153)邸跡や、字袴田には南朝祠官で外宮長官であった宮後朝棟(在任1339−1341)邸跡などがあります。 社頭掲示板 |
磯神社 三重県管下伊勢国度会郡磯村字権現前(旧権現林)1069番地 一、祭神 正殿一座 天照大神御霊 相殿二座 豊受毘賣神 木花佐久夜毘賣神 一、合祀祭神 境内社清濱神社 宇都志國玉神 白山社 菊理姫神 山神二柱 大山津見神 一、由緒創立 垂仁天皇25年3月(約2000年前) 垂仁天皇の御世に天照大神を倭姫命に奉戴せしめて諸國を経歴せられし時玉■フ伊蘇國に行幸あり、今の伊蘇郷磯村の辺を謂う。其の地に行宮を造って皇大神を安鎮奉斎し、伊蘇宮、亦磯宮と稱す。然して皇大神は宇治郷内宮に御鎮座ありし後もその行宮の遺跡を磯神社と唱へて延喜式神名帳官社の列に入れらる。 本社即ち是なり。但し、旧地は後年宮川 洪水にため崩壊せるに依って今の社地権現林に年月日不詳移遷し古跡を宝殿の脇と号す。明治41年2月18日境内社 清濱神社、無格社本殿社 無格社白山社 無格社山神二座合祀するの許可を受け同年3月3日合祀執行す。 戦後宗教法人により昭和21年5月10日三重県知事に届出宗教法人「磯神社」となり今日に至っている。 社頭掲示板 |
磯神社 当社の特殊神事として、須佐之男命の八岐大蛇退治神話の所作を「七起こしの舞」と称し、無病息災、町内安寧、五穀豊穣を願う御頭舞(獅子舞)神事が、毎年2月11日に古式ゆかしく祭行されている。 又、境内池の周りには四季折々の花樹が植えられ伊勢市花の名所となっている。なかでも、ヒラドツツジ(約300本)が咲き誇る4月下旬から5月上旬には「磯のツツジ」として名代で大勢の花見客が訪れ賑わっている。 由 緒 当社の創建は古く皇大神宮(伊勢の神宮/内宮)創祀の古代に遡り『皇大神宮儀式帳』『延喜式神名帳』に社名が記載されている。『倭姫命世記』によると、垂仁天皇25年(紀元前5年)3月、皇女倭姫命が天照大神の大宮地を求めて諸国を御巡幸。皇大神を奉じて「伊蘇宮/磯宮」に遷幸されたのが創祀である。大御神が宇治郷五十鈴川上の現在地に御鎮座後もその行宮旧跡は大切に守られていたが、後年の宮川の洪水で崩壊したため、現在の伴信友著『神名帳考証』に記載されている「八王子社」の社地に移遷した。明治41年、境内社「清濱社」、無格社「本殿社」、無各社「山神社」二座を合祀し現在に至った。元伊勢宮の一社に比定される社として全国から多くの元伊勢宮巡拝者が訪れ尊崇されている。「延喜式内神名帳」の伊勢国度会郡の磯神社がこれであり、延喜式内郷社に列せられた。 三重県神社庁 |
磯神社 縁起 ◆当社の創建は古く皇大神宮(内宮)創祀の神代に遡り「皇大神宮儀 式帳」「延喜式神名帳」等、著名な古書に社名が記載されている。 なかでも「倭姫命世記」に、垂仁天皇二十五年(紀元前五年頃)三月、 皇女倭姫命が大御神を奉じ「大神を鎮め坐さしむ処を求めて」つまり 永遠に安定した神事を続けることができる最適地を求めて、大和から 近江、美濃の諸国を巡られた。ようやく辿り着いた地を「伊蘇宮或は 磯宮」と称したのがその創祀である。天照大神が宇治郷五十鈴川辺の 現在地に御鎮座後も、その行宮旧跡を「磯神社」と号し、近隣の人々 に尊崇されていたが、後年の宮川の度重なる洪水で旧地が崩壊、水没 した為、「神名帳考證/伴信友」に記されている磯の八王子社の鎮ま り坐す現在の社地「権現林」に遷祀したとされている。明治期に「清濱社」「白山社」「山神社」を合祀し現在に至っている。延喜式神名帳の伊勢国度会郡『磯神社』がこれであり、延喜式内郷社に列せられた。 又、倭姫命巡行時の仮宮旧跡=「元伊勢」(伊勢の神宮鎮座伝承に関わる神社)に比定され、全国から参拝者が絶えない。 宝物 獅子頭 作者・製作年不詳 (格納箱に「元禄十丁丑日天子八王子 正月吉祥日」と墨書あり) 特殊神事 当当社の特殊神事として、毎年二月十一日に「無病息災」 「町内安寧」「五穀豊穣」を願う民俗芸能の御頭舞が古式かしく祭行されている。 「磯のお頭さん」と愛称され、由緒あるものであり社宝として大切に保存され、伝統の御頭舞神事として世代をこえて継承されている。 境内地 磯つつじ公園(境内地 2024u)毎年四月中旬 〜五月上旬、約三〇〇本の 「ヒラドツツジ」が咲き誇り伊勢市春花の名所として大勢の見物客で賑う。 他にも四季折々の花が咲き池の水面には紅白の睡蓮の花が映え、噴水が勢いよく吹き上り、錦鯉が優雅に泳ぐ池畔の東屋で、のどかに時を過ごす親子の姿も微笑ましく市民の憩いの公園として親しまれている。 又、当社境内には推定樹齢七〇〇年の御神木の大楠(幹経約十b)が威風堂々と聳えている。参拝に訪れる人々が大楠の気を授かろうと、幹に手を当てて暫し瞑想している姿も見受けられる。 慶光院上人と磯町 伊勢では二十年に一度、神宮の式年遷宮の御造営用材を旧神領民が両宮へ運び入れる「お木曳行事」が行われる。 戦国乱世の世に中断していた神宮の式年遷宮を復興させた慶光院三代上人 (守悦・清順・周養)の神忠に報い、豊臣秀吉や徳川家康より磯村(現伊勢市磯町)を寺領として朱印拝領していた。 お木曳では外宮領は陸曳、内宮領が五十鈴川を川曳するが、旧寺領の磯町は「慶光院曳」と称して宮川堤から内宮まで、凡そ十三時間かけて、御用材の中で最も太い内宮正殿の「御扉木」用材を内宮領でありながら、唯一陸路奉曳する栄誉が今なお受け継がれ誇りとするところである。 磯町民の旧慶光院領主に対する敬慕の念は今尚篤く、町内の玉雲寺(臨済宗妙心寺派)で毎年五月初、当主をお招きして歴世慶光院上人を顕彰する法要が営まれている。 公式HP |