健磐龍命は最初阿蘇火口に立つ巨石であった。健磐龍命は阿蘇火山の神であり、原始的な宗教の対象であつたことが考えられる。これがこの地方を開拓した豪族阿蘇氏の祖先神とされるに至つた。 鎌倉時代の初期には、今の宮地の地に下宮が創建され、健磐龍命と阿蘇比唐はじめ十二神が合祀されたようであり、その後は阿蘇社又は阿蘇神社と称されるに至り、独立した健磐龍命神社・阿蘇比盗_社はなくなつた。 鎌倉時代には、一宮から十二宮までを祀る祭祀形態をもつた阿蘇社が確立したと考えられる。 現在は以下のように祀られている。 一の神殿(左手、いずれも男神) 一宮:健磐龍命 第1代神武天皇の孫 三宮:國龍神 二宮の父。神武天皇の子で、『古事記』では「日子八井命」と記載 五宮:彦御子神 一宮の孫 七宮:新彦神 三宮の子 九宮:若彦神 七宮の子 二の神殿(右手、いずれも女神) 二宮:阿蘇都比当ス 一宮の妃 四宮:比東芬q神 三宮の妃 六宮:若比盗_ 五宮の妃 八宮:新比盗_ 七宮の娘 十宮:彌比盗_ 七宮の妃 別殿(最奥、いずれも男神) 十一宮:國造速瓶玉神 一宮の子。阿蘇国造の祖 十二宮:金凝神 一宮の叔父。第2代綏靖天皇を指すとされる 宮司の阿蘇氏は古代より連綿と続いている。 |
由緒 御主神健磐龍命は一代神武天皇の勅命に依って九州鎮護の大任に当られた。 後に命は、紀元76年春2月阿蘇に下られ草部吉見神の娘阿蘇都比当スを娶り、矢を放ち居を定められ、四方統治の大計を樹て阿蘇の国土開発の大業を始められた。 当時大湖水であった阿蘇火口湖を立野火口瀬より疎通し阿蘇谷の内に美田を開拓せられ、住民に農耕の道を教えられた(7月28日の御田祭神事の起り)。また歳ノ神を祭り(3月の田作神事の起り)、更に霜神を祭り(霜宮火たき神事の起り)、風神を鎮め給う(風宮社の風祭の起り)等国利民福の為に尽くされた。 業成っては阿蘇山麓に大巻狩を行い鳥獣の害を除き(9月25日田実神事に執行の流鏑馬の起り)※これは下野の狩りとも云い中昔源頼朝が富士の牧狩を行なうに先ち使者を遣わし、この狩りの古実を学ばせたと云う。この巻狩りは天正以後廃絶した※ 祀典の範を定め庶民のために其の憂苦を除き給いて吾が大阿蘇開発の先駆者として不滅の功績を遺された。 是に土地開け住民この地に安住して今に至るまでその恩沢を享け皆夫々生業を営めるは命の偉大なる御事蹟に外ならず、洵に命の大業は吾が日本建国史に不滅の光彩を放つものと云うべきであり現今国土開拓の神、農耕道の祖神として汎く世人の崇敬をうけ11世紀以降肥後一の宮と仰がれ肥後の国熊本の総鎮守神として尊崇をうけております。 国土の開拓とはただ産業の振興のみならず吾々人間生活に関わりある交通・文化・学芸・結婚・医薬・厄除等の生活守護の神として限りない御神徳をいただいています。 第7代孝霊天皇の9年6月御子速瓶玉命に勅して大神を祭られたのが当社創建の始めで平成3年より2273年前であり、第12代景行天皇の18年惟人命に勅して特に崇敬を尽くされ永く祭祀を廃せざる様命ぜられた。これが阿蘇大宮司職の始であって現在に至まで連綿91代世々祀職を継承されており皇室に次ぐ日本最古の家柄である。 ◎皇室、国家の尊崇 第53代淳和天皇(弘仁14年)、従四位下勲五等に叙し健磐龍命に封二千戸を充て奉り順年昇位し貞観元年正二位、次いで延喜の制明神大社に列し名神祭に預かり、寛仁元年一代一度の大奉幣に預かる等朝廷の御尊崇極めて篤く肥後の国の一の宮とせられた。 爾来禁裏将軍家を始め武家武将の崇敬を享け、阿蘇氏の武門としての勢力は肥後一円に及び厖大な社領を有していたが、秀吉九州征伐の時阿蘇神領を没収し改めて天正15年三百町の地を寄せられ、ここに往時の勢力を失墜するに至った。 後に加藤清正、細川氏藩主たるに及んで畧代社領の寄進、社殿の造営等を為し崇敬の誠を表された。 明治4年5月国幣中社、明治23年4月官幣中社に、大正3年1月官幣大社に列せられた。 ◎社殿 社殿の配置結構は皇居の制に準い、旦つ三十三年毎に肥後の棟別に賦課して改築せらるゝを例としていた。 神殿は最も古くは十二殿、下っては六殿、更に三殿と時代と倶に変遷しているが、現今の神殿は天保6年斧初め、同11年一の本殿、同12年二の本殿、同13年別殿、嘉永2年神幸・還御両門及び樓門と竣工したが何れも藩主細川氏の建立によるものである。 拝殿、祝詞殿、翼廊、神饌所、神輿庫等は昭和16年以降の政府事業及び造営奉賛会の造営計画により昭和23年に竣工した。 尚、三神殿、拝殿、翼廊、神饌所、神輿庫及び樓門、神幸・還御両門の御屋根銅版葺替工事、並びに廻廊、透塀の復元工事を昭和49年に完工した。 本殿、樓門等の構造は特例の阿蘇式であって、一・二の本殿は千鳥破風の曲線美妻は入母屋、千木外そぎ八本の鰹木を据え何れも欅材の白木造り樓門は二層樓の山門式、同時代最優秀の彫刻美を誇っている。 ◎阿蘇大神神幸分布 阿蘇神社及び阿蘇大宮司家は往古より肥後国の精神的中心であったが、同時に肥後国及び豊後国の一部の事実上の支配者であった。 阿蘇大神信仰の発展を知るうえには各地各所の同神神社を知ることが適切と思われるが多数に及ぶので列記しがたいが肥後熊本県内だけでも四百社に達する。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
阿蘇神社について 阿蘇神社は、神武天皇の孫神で阿蘇を開拓した健磐龍命(たけいわたつのみこと)をはじめ家族神12神を祀り、2000年以上の歴史を有する古社です。古来、阿蘇山火口をご神体とする火山信仰と融合し、肥後国一の宮として崇敬をあつめてきました。 宮司職を世襲する阿蘇氏は、我が国でも有数の旧家として知られています。中世には武士化して肥後国を代表する豪族に成長しました。500社に及ぶ分社があるのは、こうした歴史背景に理由があると考えられています。 阿蘇神社の社殿群は、天保6年(1835)から嘉永3年(1850)にかけて、熊本藩の寄進によって再建されたもので、神殿や楼門などの6棟は国重要文化財に指定されています。中でも楼門は九州最大の規模を誇り、「日本三大楼門」の一つともいわれます。平成28年熊本地震により楼門が倒壊し、また拝殿が倒壊するなど、重文以外の社殿についても甚大な被害を受けました。ただいま復旧工事が進められています。 公式HP |
阿蘇神社 阿蘇神社ハ三社アリ、一ヲ健磐龍命神社トス、阿蘇山ノ麓、宮地村ニ在リ、健磐龍命ハ、即チ阿蘇都彦命ナリ、肥後國ノ一宮ニシテ、延喜ノ制、名神大社ナリ、次ヲ阿蘇比盗_社トス、又宮地村ニ在リ、阿蘇比当スハ、健磐龍命ノ妃神ナリ、次ヲ國造神社トス、伺ジク宮地村ニ在リ、健磐龍命ノ子速瓶玉命ヲ祀ル、今三社ヲ合セテ阿蘇神社ト称シ、官幣中社ニ列ス、 社地ニ神霊池アリ、異変アル毎ニ、祈祷ヲ行ヒ、幣帛ヲ奉ルコト、歴朝絶エズ、足利氏ノ時、明ノ太宗、阿蘇山ヲ封ジテ壽安鎮國山ト爲シシコトアリ、 本社ノ社司ヲ阿蘇國造ト称ス、即チ本社祭神ノ裔孫ニシテ、今華族ニ列セリ、 古事類苑 |