石上神宮境内摂社。神宮楼門南の丘上に鎮座する。 江戸期の記録は若宮として記すものが多いがこの地に出雲建雄社の伝承があつた事は確かである。 天武天皇の頃、636年(朱雀元年)布留川の上日谷に瑞雲が立勝る中、神剱が光を放って現れ「今此の地に天降り、諸の人を守らん」と宣言し直ちに鎮座されたという。 |
出雲建雄神社 摂社 出雲建雄神社 式内社 御祭神 出雲建雄神 由緒 出雲建雄神は草薙の神剣の御霊に坐し今を去ること1300年前天武天皇朱雀元年布留川上日谷に瑞雲立勝る中、神剣光を放ちて現れ「今此の地に天降り、諸の氏人を守らん」と宣給う即鎮座し給う 社頭掲示板 |
出雲建雄神社 延喜式内社で、草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒魂(あらみたま)である 出雲建雄神(いずもたけおのかみ)をお祀りしています。 江戸時代中期に成立した縁起には、天武天皇(てんむてんのう)の御代に御鎮座になった由がみえます。 それによると、 布留邑智(ふるのおち)という神主が、 ある夜、 布留川の上に八重雲が立ちわき、 その雲の中で神剣が光り輝いている、 という夢を見ました。 明朝その地に行ってみると、 8つの霊石があって、 神が 「吾は尾張氏の女が祭る神である。今この地に天降(あまくだ)って、皇孫を保(やすん)じ諸民を守ろう」 と託宣されたので、神宮の前の岡の上に社殿を建ててお祀りしたということです。 江戸時代には、 出雲建雄神は当神宮の御祭神 布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)の御子神と考えられ、そのため 「若宮(わかみや)」と呼ばれていました。 例祭は1月15日に月次祭に引き続いて斎行しています。 公式HP |
出雲建雄神社 出雲建雄は伊豆毛多気乎と訓べし○祭神明か也○在所詳ならず○日本紀、崇神天皇60年7月丙申朔己酉、詔群臣曰、出雲臣之遠祖出雲振根主于神室云々、 大和志に、或曰、在藺生村、今称葛神即此、」考証云、今在石上社南門中、 神社覈録 |