里中の神社。叢林がある。
旧社地は、現社地の東約800mの平尾山にある稲荷神社(姫丸稲荷神社)。 『日本書紀』顕宗前紀に「石の上 振るの神榲 本伐り 末戴ひ 市辺宮に」(いそのかみ ふるのかみすぎ もときり すえおしはらひ いちのべのみやに)の歌があり、石上に古代の市の存在を伝える。 旧地は仁賢天皇石上広高宮の地と伝う。 |
平尾山稲荷神社 平尾山稲荷神社(石上廣高宮伝承地) 「在原神社」から東へ行って、直ぐの国道169号線へ出たら渡って右(南)へ行き、正一位姫丸大明神と彫られた小さな石碑の所から東へ800m山の中へ入ると、左手に古びた朱色の鳥居がずらりと並び奧に「平尾山稲荷神社」が鎮座しています。ここ平尾山は旧地名を「宮の屋敷」と云って、日本書紀に書かれた第24代仁賢天皇の石上(いそのかみ)廣高ノ宮や、天皇の父の市辺押磐皇子の石上市辺ノ宮があった所と考証され、また、第61代醍醐天皇の時に編纂された延喜式に記される「石上市神社」は、ここにあった宮ですが、神社は江戸時代の中頃、石上村の鎮守として移され、跡に今の平尾姫丸稲荷大明神が残りました。 |
石上市神社 西名阪国道天理の南側国道169号線の西側に鎮座。『大和志』に「今称天神 村東平尾山此其旧跡」とあり、石燈籠にも平尾天神宮とあることから元は町の東方平尾にあったが、貞亨のころ(1684−1687)現在地に遷座されたものとみえる。大正9年本殿造営替の時、本殿跡から「貞享丙寅6月25日氏子寄進施主敬白、 住持道盛」 の石が発見された所からこのころの遷座でないかと思われる。『延喜式』神名帳に式内社として登載されている。『神名帳考証』に「石上市神社、神大市姫神・按大国魂之祖母也」とあるが、明治26年少彦名命に訂正された。 例祭は10月15日。境内に元修福寺があったが明治初年神仏分離で廃され、今十一面観音立像を安置した観音堂が残る。 奈良県史 |
石上市神社 石上は前に同じ、市は伊知と訓べし、〇祭神詳ならず○磯上村に在す、今天神と称す、村東平尾山、此其旧跡(大和志) 類社 丹波國氷上郡伊尼神社、但馬國氣多郡伊智神社、 神社覈録 |