旧社地は現在地の南二町、十四條五里九坪の地点。南池(白鳥池)の西堤上にあつたが、第二次大戦中、大和海軍航空隊飛行場建設のため、池を埋め、社も取り払はれて小學校々庭に奉遷された。昭和21年10月、現在地即ち旧白鳥池の北に社地を定め、神殿を新築して境内一帯に植樹して鎭祭した。池は東西一町二七間三尺、南北一町五四間二尺四寸、反別二町七畝二歩の大池で、長柄池として歌に詠まれた(大和志)が、現在田畠となつてゐる。その小字名の南池・池底・白堤社が残つてゐるので、旧地が確められる。 「式内社調査報告」 田畑の中に 「白堤神社跡 臍見長柄丘岬 長柄城跡」 と刻した史蹟碑が立ち、裏面には 「広大な元海軍航空隊大和基地跡 昭和46年10月20日 長柄長寿会建之」 とある。 |