田の中の神社、こんもりとして見える。 旧地は現地より南、南池の西堤上にあったが、昭和19年(1944)飛行場建設のため小学校校庭に遷。昭和21年(1946)現地へ遷。 摂社大熊神社は祭神大熊命、境内地の中に土塀で囲み、鳥居・狛犬を備へていて、本社と対等の風格を備えている。口碑に元来白堤神社は大熊神社で、白鳥社は末社であったと伝える。 |
【社地】 旧社地は現在地の南二町、十四條五里九坪の地点。南池(白鳥池)の西堤上にあつたが、第二次大戦中、大和海軍航空隊飛行場建設のため、池を埋め、社も取り払はれて小學校々庭に奉遷された。昭和21年10月、現在地即ち旧白鳥池の北に社地を定め、神殿を新築して境内一帯に植樹して鎭祭した。池は東西一町二七間三尺、南北一町五四間二尺四寸、反別二町七畝二歩の大池で、長柄池として歌に詠まれた(大和志)が、現在田畠となつてゐる。その小字名の南池・池底・白堤社が残つてゐるので、旧地が確められる。 式内社調査報告 |
白堤神社 白鳥大明神 延喜式内社 白堤神社 祭神 日本武尊(景行天皇の皇子) 大和は 国のまほろば たたなづく 青かぎ 山ごもれる 大和し 美し 古事記にあるこの歌は、日本武尊が投獄からの帰り、はるかに大和国を思い出して歌われたものと伝えられている。 景行天皇の命をうけ、国の繁栄のため、九州から出雲国、さらに関東から東北へと進まれたが、その帰り、伊吹山で病にかかり、、能煩野(亀山市内)で亡くなられた。ところが、尊の魂は白鳥となって陵から飛び立ち河内へ、さらに大和へ向かったと伝えられている。 日本武尊のこうしたロマンに満ちたご活躍を偲び、御神徳のいよいよ広まるように全国各地で日本武尊を白鳥大明神としてお祭りするようになった。 白堤神社は、県下で尊をお祭りするただ一つの神社である。 当社は、平安時代に国から幣帛を授受する延喜式内社に指定された 社頭掲示板 |
白堤神社 白堤は志呂都々美と訓べし〇祭神白堤首其歟○長柄村に在す、今白鳥明神と称す(大和志、同名所図会)日本紀、用明天皇元年5月、穴穂部皇子陰謀王天下之事而口詐在於殺逆君、遂與物部守屋大連、率兵団焼盤余池辺、逆君知之、隠於三諸之岳、是日夜半潜自山出、隠後宮、逆之同姓白堤與横山、言逆君在処、○姓氏録、(大和国神別)白堤首、天櫛玉命八世孫大熊命之後也、 神社覈録 |