曽我川西岸近く、24号線に面して鎮座する。 忌部氏の本宗社であり、忌部氏の祖天太玉命をまつる。 中臣氏と忌部氏は本來職掌についても甲乙はなかったが、次第に中臣氏のために排除されその後は漸々おとろえ、後醍醐天皇以後に至つては国史記録の上からは全く絶えている。 室町時代嘉吉の頃には興福寺に属すこととなり、社人も藤原氏を称し、社を春日社に擬する事とも成つたらしい。 「五郡神社記」は天津石門別神社は当社に併祀と記す。 |
太玉命神社四座 並名神大月次新嘗 太玉は布登多麻ど訓べし○祭神明か也○忌部村に在す、(大和志、同名所図会)、○式三、(臨時祭)名神祭二百八十五座、大和国太玉神社四座、 神位 三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和國從五位下太玉命神從五位上、 神社覈録 |