天太玉命神社
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   【延喜式神名帳】太玉命神社 四座(並名神大 月次/新嘗)大和国 高市郡鎮座
   【延喜式神名帳】天津石門別神社 大和国 高市郡鎮座

   【現社名】天太玉命神社
   【住所】奈良県橿原市忌部町153
       北緯34度30分26秒,東経135度46分23秒
   【祭神】天太玉命 大宮売命 豊石窓命 櫛石窓命
       『五郡神社記』第一天太玉神 第二大宮乃売神
              第三忌部祖太玉命、第四天比乃理当ス
       「後太玉命社記」天太玉命、大宮売命・豊磐間戸命・櫛磐間戸命
            元禄10年(1697)松下見林

   【例祭】10月9日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】貞観元年(859)正月27日従五位下『三代実録』
       明治41年(1908)10月村社

   【関係氏族】忌部氏
   【鎮座地】当初鎮座の地

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「春日社」と称していた
   【社殿】本殿千鳥破風付流れ造桧皮葺
       鎮座の位置は左端豊磐間戸命、次に天太玉命、次に大宮売命、右は櫛盤間戸命
       拝殿・小神庫

   【境内社】本殿の両側には各独立の春日造の二宇あり、これらは境内社として扱われ
        左は春日社(天児屋根命)、右は玉依姫命・岡本天王社


曽我川西岸近く、24号線に面して鎮座する。
忌部氏の本宗社であり、忌部氏の祖天太玉命をまつる。
中臣氏と忌部氏は本來職掌についても甲乙はなかったが、次第に中臣氏のために排除されその後は漸々おとろえ、後醍醐天皇以後に至つては国史記録の上からは全く絶えている。
室町時代嘉吉の頃には興福寺に属すこととなり、社人も藤原氏を称し、社を春日社に擬する事とも成つたらしい。
「五郡神社記」は天津石門別神社は当社に併祀と記す。


太玉命神社四座 並名神大月次新嘗

太玉は布登多麻ど訓べし○祭神明か也○忌部村に在す、(大和志、同名所図会)、○式三、(臨時祭)名神祭二百八十五座、大和国太玉神社四座、
神位
三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和國從五位下太玉命神從五位上、

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