畝傍山山頂に神社跡が残っている。神社跡の手前に摂津の住吉神社の「埴取の神事」で埴土を採取する場所が玉垣に囲まれてある。 口碑によると越智郷を本貫とする戦国期の豪族越智氏が、ここから南方3Km地点の貝吹山に城を築いた時、真北の下方に神社が見えるのを恐れて、山頂に移したという。 昭和15年、皇紀2600年をむかえて国民的奉祝気運の中にあつた時、畝傍山東南にあつた橿原神宮の大拡張工事が行なわれ、境内地を約15万坪とせられたのを機会として、国家創始の霊地・霊社たる神武天皇畝傍山東北陵や神宮を脚下に瞰下するものとして、当社を山下に下るよう当局より命ぜられた。 |