天照御魂神社
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   【延喜式神名帳】他田坐天照御魂神社(大 月次/相嘗/新嘗)大和国 城上郡鎮座

   【現社名】天照御魂神社
   【住所】奈良県桜井市太田205
       北緯34度32分44秒,東経135度50分21秒
   【祭神】天照御魂命
       『神祇宝典』「天照大神之荒魂也」
       『神社覈録』「祭神天日神命」
       『神名帳考証』天照国照彦火明命・志貴連祖饒速日命
       『特選神名牒』天火明命

   【例祭】10月11日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】敏達天皇11年(586?)創立
       『大倭国正税帳』他田神戸穀壱斛『正倉院文書』
       大同2年(807)神封として、他田神二戸『新抄格勅符抄』
       貞観元年(859)正月27日従五位上『三代実録』
       以後、他田社は史上にあらわれず埋没
       江戸時代中期『大和志』が、「在太田村今称春日」

   【関係氏族】
   【鎮座地】旧辻村の境他田の地にあり
        明治12年(1879)に移座再建
        他田→海通→堂久保と三たび遷つた

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「春日神社」と称す
   【社殿】本殿春日造千木付トタン葺
       拝殿

   【境内社】

JR桜井線巻向駅の西側、駅舎から南へ回り300m。太田集落の東北部に位置する小社。
南側は河跡らしい微低地、西側も低くなるが、東と北側はやや高くなつた微高地形で、雑木林の中に鎮座する。
敏達天皇訳語田幸玉宮の跡という。楠木の巨木がある。
境内地北側は弥生時代から平安時代にまたがる纏向遺跡。
この神社のある太田の地から見ると日の出は立春・立冬は三輪山山頂付近、春分・秋分は巻向山頂上付近となり、日読みの地であったと指摘されている。
他田の日祀部が置かれた場所にあつた神社であるから、天火明命を祭つていたとするのが妥当と思われる。


他田坐天照御魂神社

JR桜井線巻向駅の西側300mの地に鎮座する。明治24年(1891)の『神社明細帳』に敏達天皇11年の創立で祭神を天照御魂命とある。天平2年(730)の「大倭国正税帳」の「他田神戸・穀壱斗捌升耗□□定壱斛陸升替依壱拾壱東陸把、頴稲五拾束弐把 用肆束 祭料 残捌拾陸束弐把」とある。大同元年(806)に「他田神戸二戸(大和一戸・伊勢一戸)」と定められていて、貞観元年(859)には神階従五位上を授けられた(『三代実録』)。延喜の制では大社に列せられ、月次・相嘗新嘗には案上官幣に預かった。なお式内の当社については外に戒重字城の内の春日神社に充てる説もある。例祭は10月10日。

奈良県史



他田坐天照御魂神社 大月次相嘗新嘗

他田は哀佐多、』天照御魂は阿麻弖留美多麻と訓べし、〇祭神天日神命○太田村に在す、(大和志、同名所図会)、〇式二、(四時祭下)相嘗祭神七十一座、他田社一座、
連胤按るに、敏達天皇の諱を、訳語田淳中倉太珠敷天皇と称し奉るも、此地名を以て也、
類社
山城國葛野郡木島坐天照御魂神社の下見合すべし
神位
三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和国從五位下他田天照御魂神從五位上、

神社覈録



訳語田幸玉宮伝承地

訳語田幸玉宮は、第30代敏達天皇が営んだ宮です。
記紀によりますと、敏達天皇は、初め百済大井宮※を営んでいましたが、占いによりこの地に宮を移したとされています。
先に我が国に伝来した仏教については、崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏との対立が表面化していきます。蘇我氏が仏法を広めたせいで疫病が発生したと物部氏から進言を受けた敏達天皇は、仏教を禁止して仏像や仏殿を焼くなどしたと記されています。
また、外交面では、先代の欽明天皇の遺志を継いで、朝鮮半島進出の拠点であった任那の復興を目指して、百済や新羅と外交を続けたと記されています。
※百済大井宮の所在については、桜井市の他、河内長野市、富田林市、北葛城郡広陵町など諸説あります。
記紀万葉の物語(敏達天皇の条)仏教をめぐる蘇我氏と物部氏の対立

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