天照御魂神社
あまてるみたまじんじゃ


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【纏向遺跡】

3世紀初期から中頃の大型建物跡が発掘された。4棟の建物が東西に一直線上に並ぶ古代の建物としては、最初の計画的建築との事である。
この建築物は、卑弥呼の神殿の可能性が強い。重大な発掘である。
またこの建物跡の直線上に天照御魂神社が、鎮座している。しかも数十mの距離の位置である。


【日祀部】

他田の地が、冬至の日の出の遥拝地として重要視されたことは『日本書紀』敏達大王の条にみられる。大王は、即位から4年後、他田に幸玉宮をつくって遷り、その2年後に、日祀部を他田に設置した。
神話学者の筑紫申真は、日祀部のまつっていた日神は「三輪山に天降って他田で日祭りをうけていた他田坐天照御魂の系統のアマテルの神」で、この日神を天武朝に「伊勢で整備したのが皇大神宮」であるとみている。
【日祀部】日奉部とも書く。《日本書紀》敏達6年の条に,「詔して,日祀部,私部(きさいべ)を置く」と見える。





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