この地が当初鎮座の地とする。 丹生川上神社(中社)の対岸に鎮座している。 |
丹生神社 丹生川上神社(旧官弊大社) 御察神 罔象女神と言い、日本最古の永神で水神総本社である。祭られた初めは何時代か分からぬ位古く、恐らく神武天皇の頃はこの辺りに神籬式の神として祭られでいた。最初武運守護の神として崇敬されたが天武天皇の時初めて社殿を建て神社としての形が出来上った、この以後は天下に良き雨を降らせ、また大雨を止める水神の神徳が上下の人々から信仰せられ萬葉から奈良時代にかけて歴代天皇の行幸五十回近くあって、その泊り給うところが吉野離営であつた。平安朝になってから行幸が絶え吉野離宮も荒廃したので現在の地に神社を移して壮大なる建築に代ったが戦国の狂乱に及び・・・灰燼に帰し僅かに御神体その他の一部が残すのみで往年の面影は失なわれた。近世になつて農業耕作に慈雨の恵の神として一般の信仰が篤く各地から水神講を組織して参拝した。現在水を最も必要とする電源開発・電力会社、及び各都市の水道方面から篤く信仰されている。 社頭掲示板 |
神武聖蹟 丹生川上 〜神武天皇の丹生川上での親祭〜 昭和15年(1940)2月7日、文部省による神武聖蹟調査の第1回目の決定があり、「丹生川上の地」は小川村(現東吉野村)丹生川上神社の付近であると発表された。 日本書紀によると、戌午の年9月、神武天皇は、大和平定のため、夢にあらわれた天神の教えのとおり、天香具山の社の中の土を取って平甕と厳甕・(御神酒を入れる甕)をつくリ、丹生の川上にのぼって天神地祇を祀られた。 神意を占って「厳甕を丹生川に沈めよう。もし魚が大小となく全部酔って流れるのが真木の葉の浮き流れるようであれば自分はきっとこの国を平定するだろう。」と言われて厳甕を丹生川に沈めた。しばらくすると魚はみな浮き上がってロをパクパク開いた。椎根津彦がそのことを報告すると、天皇は大いにお喜びになられ丹生の川上の五百箇の榊を根こぎにして諸々の神をお祀りされた。このときから祭儀のときに御神酒瓶が置かれるようになった。 丹生川は、今の高見川で、高見・四郷・日裏の三川が合流したところの深淵は、神武天皇が夢にあらわれた天神の教えによって厳甕を沈めたところだと伝えられ、『夢淵』と呼ばれています。 東吉野村 社頭掲示板 |