金剛山の東山麓に鎮座する。この地は大和の名門の豪族である鴨の一族の発祥の地で本社はその鴨族が守護神として祀った。 主神以外の3座は異説多い。4座の内3座は不詳とする説もある。鴨族が金剛山麓で祀った中心の神社。本殿に大きな厨子があり、中央に阿治須岐託彦根命、その前の左に高比売命(下照姫)、右に天稚彦命が祀られている。本殿の西100mに西神社がありそこに多紀理毘売を祭る。 古くは味耜高彦根と下照比売の2柱をまつり、後に神話の影響を受けて下照比売の夫とされた天稚彦、母とされた多紀理毘売を加えたと思われる。 雄略天皇により土佐に流されたとされる神である。土佐では一言主神とされるが、この神は阿治須岐詫彦根命の分霊とされている。一言主神は鴨の地主神でより古い神格であろう。 当社の東方に神通寺跡がある。ここには高鴨神社の神宮寺があつた |
由緒 この地は大和の名門の豪族である鴨の一族の発祥の地で本社はその鴨族が守護神としていつきまつった社であります。 『延喜式』神名帳には「高鴨阿治須岐詫彦根命(たかかもあじすきたかひこねのみこと)神社」とみえ、月次・相嘗・新嘗の祭には官幣に預かる名神大社で、最高の社格をもつ神社でありました。清和天皇貞観元(八五九)年正月には、大和の名社である大神神社や大和大国魂神社とならんで従二位の御神階にあった本社の御祭神もともに従一位に叙せられましたが、それほどの由緒をもつ古社であります。 弥生中期、鴨族の一部はこの丘陵から大和平野の西南端今の御所市に移り、葛城川の岸辺に鴨都波神社をまつって水稲生活をはじめました。また東持田の地に移った一派も葛木御歳神社を中心に、同じく水稲耕作に入りました。そのため一般に本社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼ぶようになりましたが、ともに鴨一族の神社であります。 このほか鴨の一族はひろく全国に分布し、その地で鴨族の神を祀りました。賀茂(加茂・賀毛)を郡名にするものが安芸・播磨・美濃・三河・佐渡の国にみられ、郷村名にいたっては数十におよびます。中でも京都の賀茂大社は有名ですが、本社はそれら賀茂社の総社にあたります。 『日本書紀』によると、鴨族の祖先のヤタガラスが、神武天皇を熊野から大和へ道案内したことが記されています。そして神武・綏靖・安寧の三帝は鴨族の主長の娘を后とされ、葛城山麓に葛城王朝の基礎をつくられました。 この王朝は大和・河内・紀伊・山城・丹波・吉備の諸国を支配するまでに発展しましたが、わずか九代で終わり、三輪山麓に発祥した崇神天皇にはじまる大和朝廷によって滅亡しました。 こうした建国の歴史にまつわる由緒ある土地のため、鴨族の神々の御活躍は神話の中で大きく物語られています。高天原から皇室の御祖先であるニニギノミコトがこの国土に降臨される天孫降臨の説話は、日本神話のピークでありますがその中で本社の御祭神であるアジスキタカヒコネノカミ・シタテルヒメノカミ・アメワカヒコ、さらに下鴨社の事代主神が、国造りの大業に参画されています。 御本殿にはアジスキタカヒコネノカミを主神とし、その前にシタテルヒメノカミとアメワカヒコノミコトの二神が配祀され、西神社には母神のタギリビメノミコトが祀られています。古くはアジスキタカヒコネノカミとシタテルヒメノカミの二柱をまつり、後に神話の影響を受けてシタテルヒメの夫とされたアメワカヒコ、、また母神とされたタギリビメノを加え、四柱の御祭神となったものと考えられます。 現在の御本殿は室町時代の三間社流造の建物で、国の重要文化財に指定されています。なお東神社は皇大神・住吉神・春日神をお祀りしています。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
高鴨神社 この地は大和の名門の豪族である鴨の一族の発祥の地で本社はその鴨族が守護神としていつきまつった社の一つであります。 『延喜式』神名帳には「高鴨阿治須岐詫彦根命(たかかもあじすきたかひこねのみこと)神社」とみえ、月次・相嘗・新嘗の祭には官幣に預かる名神大社で、最高の社格をもつ神社でありました。清和天皇貞観元(859)年正月には、大和の名社である大神神社や大和大国魂神社とならんで従二位の御神階にあった本社の御祭神もともに従一位に叙せられましたが、それほどの由緒をもつ古社であります。 弥生中期、鴨族の一部はこの丘陵から大和平野の西南端今の御所市に移り、葛城川の岸辺に鴨都波神社をまつって水稲生活をはじめました。また東持田の地に移った一派も葛木御歳神社を中心に、同じく水稲耕作に入りました。そのため一般に本社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼ぶようになりましたが、ともに鴨一族の神社であります。 このほか鴨の一族はひろく全国に分布し、その地で鴨族の神を祀りました。賀茂(加茂・賀毛)を郡名にするものが安芸・播磨・美濃・三河・佐渡の国にみられ、郷村名にいたっては数十におよびます。中でも京都の賀茂大社は有名ですが、本社はそれら賀茂社の総社にあたります。 『日本書紀』によると、八咫烏(やたがらす)が、神武天皇を熊野から大和へ道案内したことが記されています。そして神武・綏靖・安寧の三帝は鴨族の主長の娘を后とされ、葛城山麓に葛城王朝の基礎をつくられました。 この王朝は大和・河内・紀伊・山城・丹波・吉備の諸国を支配するまでに発展しましたが、わずか九代で終わり、三輪山麓に発祥した崇神天皇にはじまる大和朝廷によって滅亡しました。 こうした建国の歴史にまつわる由緒ある土地のため、鴨族の神々の御活躍は神話の中で大きく物語られています。高天原から皇室の御祖先である瓊々杵(ににぎ)尊がこの国土に降臨される天孫降臨の説話は、日本神話のピークでありますが、その中で本社の御祭神である味耜高彦根(あじすきたかひこね)神・下照比売(したてるひめ)神・天稚彦(あめわかひこ)、さらに下鴨社の事代主(ことしろぬし)神が、国造りの大業に参劃されています。 御本殿には味耜高彦根神を主神とし、その前に下照比売神と天稚命の二神が配祀され、西神社には母神の多紀理毘売(たぎりびめ)命がが祀られています。古くは味耜高彦根神と下照比売神の二柱をまつり、後に神話の影響を受けて下照比売の夫とされた天稚彦、また母神とされた多紀理毘売を加え、四柱の御祭神となったものと考えられます。 現在の御本殿は室町時代の三間社流造の建物で、国の重要文化財に指定されています。なお東神社は皇大神・住吉神・春日神をお祀りしています。。 公式HP板 |
高鴨神社 本社は大和の名門豪族である鴨族の守護神を祀った社です。 弥生中期、この地から鴨の一族はひろく全国に分布してゆき、各地で鴨族の神を祀りました。中でも京都の賀茂神社は有名ですが、本社はそれら賀茂社の総社にあたります。建国の歴史にも本社御祭神は大きく物語られ、高天原の天孫降臨の説話の中でも、国造りの大業をなされたとあります。 本社の御本殿には阿遅志貴高日子根命(迦毛之大御神;かものおおみかみ)を主祭神とし、西神社には母神の多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)・天御勝姫命(あめのみかじひめのみこと)・塩治彦命(やむやひこのみこと)・瀧津彦命(たきつひこのみこと)が、東神社には天照大御神(あまてらすおおみかみ)・天兒屋根命(あめのこやねのみこと)・住吉大神(すみよしのおおかみ)をお祀りしています。 当神社は全国鴨(加茂)社の総本宮で、弥生中期より祭祀を行う日本最古の神社の一つです。 主祭神の阿遅志高日子根命(あぢしきたかひこねのみこと)、その御名を迦毛之大御神(かものおおみかみ);『大見神』と名のつく神様は天照大御神、伊邪那岐大御神と三神しかおられません。)と申され、死した神をも甦えらせることができる、御神力の強き神様であられます。それゆえ病気平癒、初宮、大祓い等、甦りに関する信仰が深く、また人の歩む道を目覚めさせて下さる神様として全国より篤く御崇敬を受けております。 「カモ」は「カミ」と同源であり「カモす」という言葉から派生し、「気」が放出している様子を表しています。当神社の神域は鉱脈の上に重なり、多くの「気」が出ていることでも有名です。夏場に参詣されますと、涼しく感じられるのはその為です。「気」は身体に大変よく、ぜひ神域を巡られて神様の「気」をお受けになられ、心身共に甦られることをお祈り申し上げます。 由緒書 |
文化財 高鴨神社本殿 重要文化財(建造物) 室町後期 天文12(1543) 三間社流造、正面軒唐破風付、檜皮葺 摂社東神社本殿 奈良県指定有形文化財 |
高鴨神社 本社は古代豪族の鴨族が発祥の地に奉斎した神社である。 鴨一族は全国各地に開拓移住して、郡名、郷名に加茂の名を伝え、多数の加茂社を祀ったが、本社はそれらの総社に当たる名神大社である。 神話においては国譲りに際し、御祭神の三柱ともにご活躍なされ、また神武天皇の大和平定にも、八咫烏として武勲をたてられた御神徳高きかみにてまします。御本殿はごく菜食の彫刻を持つ室町時代の建築で、県下の神社建築の中でもっともすぐれ、国の重要文化財に指定されている。 寄贈 御所ライオンズクラブ 平成13年1月改建 社頭掲示板 |