巨石信仰の神社。旧地に社殿無く巨石を祀る。大正13年(1924)境外末社素盞嗚神社の地へ遷。旧地には高さ9m巾18mの巨石あり。 末社消渇神社には、一風変わった祈祷方法があり、泥団子を12個作り、これを供えて祈願し、願いが叶えば、米の団子を12個供えるという。 |
石床神社由緒記 平群石床神社は醍醐天皇の御代紀元1587年延喜式神名帳に記され式内大社にして諸祭には畏くも朝廷より奉幣の御事あり。御創立舒明天皇の3年即ち紀元1291の歳肇国創業の御功神饒速日命を祀らせ給いしに創る。高さ9m幅18m余の巨石を御神体とする古代の神社形式を保ちこの岩下より湧出する清水は万病の薬になると「和名抄」に載せられたり。 境内の消渇神社は分霊の祀る社なるべし、(古代祭祀の巨石遺跡あり南300m) 社頭掲示板 |
消渇・石床神社 消渇神社は、本来は地域の産土神である正勝(まさかつ)の神として祀られていた。 室町時代に、旅の僧信海が腰の病を治してもらってから下半身の病気に御利益があるとして村人に信仰されるようになる。 江戸時代には社名から女性の病気や性病に効果があるとして京都祇園からの参拝者もあり、参道に茶店が出るほど賑わったという。 願掛けには境内階段下の屋形で土の団子を十二個つくり、これを供えて祈願し、願いが叶うとお礼に米の団子を十二個お供えする。 石床神社は、大正13年(1924年)に旧社地より消渇神社境内奧の現在地に合祀された。 拝殿前に天保5年(1834)の狛犬が、奥に寛文7年(1667)の石灯篭が奉納されている。 瓦葺きの覆屋内に三つの社殿があり、中央が石床の神である。また、左右の社殿には太玉命と本来の祭神である素盞鳴命を祀っており、拝殿の臭には神篭石(かみごおりいし)がおかれている。 社頭掲示板 |
平群石床神社 大月次新嘗 平群は郡名に同じ、和名鈔、(郷名部)平群(倍久利)石床は伊波止古と訓べし、〇祭神饒速日尊○越木塚村に在す、今巌上社と称す、傍に巨石あり、石床と名づく、(大和志、同名所図会)〇惣國風土記残欠云、石床神社、圭田八十二束三字田、所祭饒速日尊也、舒明天皇3年辛卯3月、始奉圭田行神禮蔵祭、 不草和名云、石床、(乳水下凝積生如箏状)一名乳床、一名逆石、出鐘乳中、」連胤按るに、往昔は此地石床の出たる所にて、其霊を祭れる趾なるべし、備中國鐘乳穴神社あるをも考へ合すべし、 神位 三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和国從五位下平群石床神從五位上、 神社覈録 |