俗に「生駒大社」「生駒大明神」と称されている。大嘗祭の悠紀、主基奉仕の二国定めの時の浄火をおこす火燧杵、火燧臼二具を以て奉仕したことが示され、古代より火を司る神としての奉仰されていた。 生駒山頂の真東の麓にあり、古来より生駒山を神体とする祭祀の場所であった。 中世は主客神が逆転していた。江戸期には伊古麻都比古神・伊古麻都比売神に代って、午頭天王・八王子を祀っていた。明治に伊古麻都比古神・伊古麻都比売神を中央の正座に祀る。 平安朝神仏習合の盛であつた時には生駒神社に属する多くの神宮寺があり、明治維新の頃にも十一ケ寺となっていた。 |
往馬大社略由緒 神社名 古い書物や古文書によると神社名は、往馬坐伊古麻都比古神社、胆駒社(いこましゃ)、往馬大社、生馬大明神、生馬八幡宮、行馬社、生馬神社、生駒大宮、等多様でありますが現在は往馬坐伊古麻都比古神社と往馬大社の二通りに称しています。 御祭神 伊古麻都比古神(産土大神)、伊古麻都比賣神(産土大神)、気長足比賣尊(神功皇后)足仲津都比古神(仲哀天皇)、譽田別尊(応神天皇)、葛城高額姫尊(神功皇后の母君)気長宿称王尊(神功皇后の父君)、この他にも境内に摂社十四社、境外に摂社六社が合せ祀られています。 神社の歴史 当社の正確な創立年代は明らかではありませんが、大神神社や石上神宮と同じように生駒山を神体山(御神体)として祀られた日本で最も古い形態の神社でありますので、おそらくこの生駒谷に人々が住み始めた太古の頃から生駒地方の守り神としてこの地に存在いたしました。歴史書物の中で往馬大社に関する最も古いものは、『総国風土記』の中の「伊古麻都比古神社、雄略3年(458年)」とあるものです。また、正倉院文書の、『大倭國正税帳』(730年)や『新抄格勅符抄』(806年)にもその記載が見られ、奈良時代より崇敬厚き神社でありました。更に『延喜式』(927年)には「往馬坐伊古麻都比古神社二座 并大月次新嘗」とあって、当時の日本全国の官社(2861社)の中でも最高位の官幣大社(案上幣、198社)に列せられていました。当社の御祭神は本来、伊古麻都比古神、伊古麻都比賣神の二柱でございましたが、その後鎌倉時代の八幡信仰の隆盛に伴い五柱の神を合祀して、本殿御祭神は現在の七柱となりました。 火燧木(ヒキリギ)の神 平安朝の書物である『北山抄』や『元要記』、『亀相記』等には「火燧木神」の記載が見られ、伊古麻都比古神、伊古麻都比賣神は古くから火の神としても尊ばれていました。我国最大の祭祀であり、歴代天皇の御即位の大祀である踐祚大嘗祭に用いられる火燧木は、代々往馬大社より献上したもので、今上陛下の大嘗祭にも、橿原神宮で行われた紀元2600年祭にも当社の火燧木が御使用されました。このような歴史の元に、毎年10月10日11日の両日に執り行なわれる往馬大社の御例祭(火神祭)は壮大な火祭として、市内近郊はもとより遠方からも多数の参拝者があり、また古くから龍田大社の風神祭、廣瀬神社の水神祭と共に朝廷の深い信仰を受けてまいりました。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
往馬大社御由緒書 往馬大社の歴史はたいへん古く、創立年代は定かではありませんが、生駒谷十七郷の氏神としてこの地に鎮座し、奈良県内では大神神社や石上神宮と同様に神奈備(かんなび)(生駒山)を御神体として、祀られた日本有数の古社であります。また、神社の境内を覆う鎮守の杜は奈良県の天然記念物に指定されており、太古から変わらぬ自然の森を今に守り伝えています。 神社で最も占い記述は『総国風土記』の雄略天皇3年(458年)で、この年を御鎮座と致しますと、去る平成21年に1550年を迎えました。また、正倉院文書にも記載が見られ、奈良時代からすでに朝廷との関わりがありました。平安時代の『延喜式(えんぎしき)』(927年)では、往馬坐伊吉麻都比古(いこまにいますいこまつひこ)神社二座が官幣大に列せられ、その内一座は祈雨(あまごい)の幣も賜っていました。この時代、本殿は産土神の二座でありましたが、鎌倉時代に武家の守護神である八幡信仰が興隆し、当社でも五座の八幡神を合せ祀り現在の七座となりました。 現在本殿の御祭神は 伊古麻都比古神(産土大神)(いこまつひこのかみうぶすなのおおかみ 伊古麻都比責神(産土大神)(いこまつひめのかみ) 気長足比売尊(神功皇后)(おきながたらしひめのみことじんぐうこうごう) 足仲津比古尊(仲哀天皇)(たらしなかつひこのみことちゅうあいてんのう) 誉田別尊(応神天皇)(ほんだわけのみことおうじんてんのう) 葛城高額姫命(神功皇后の母君)(かつらぎたかぬかひめのみこと) 気長宿祢王命(神功皇后の父君)(おきながすくねおうのみこと) 以上の七柱で、この他境内に十三社の摂末社と、境外地に別院春日社四社と高良社(こうらしや)二社が祀られています。 鎌倉時代の『生駒曼茶羅(いこままんだら)』(重要文化財)と室町時代の『生駒曼茶羅』(県指定文化財1456年)の二軸は八幡神を合せ祀った当時の隆盛を物語っています。境内にはこの曼茶羅に描かれた神功皇后の本地仏である十一面観音像を安置する観音堂があります。仏像は鎌倉末期から室町初期頃のもので、社伝では「雲慶作」と伝えられています。 また、現在の観音堂付近に古くは経室(きようしつ)という建物が存在し、そこには『大般若経六百巻』が納められ、神宮寺と云われる十一の寺が三年つつ輪番で経室を管理していました。 さらに、現在英霊殿が祀られている場所には幕末まで八角の宝壇が設けられ、称徳天皇(718年〜770年)の黄金の位牌を埋めたところと伝えられています。 往馬大社は古くから「火の神」としても崇敬厚く、平安時代の『北山抄』や『亀相記』という書物には、天皇の大嘗祭(だいじょうさい)に関わる火きり木を当社より納めた歴史が記されており、昭和や平成の大嘗祭の「斎田点定(さいでんてんてい)の儀」にも御神木の上溝桜(うわみずざくら)が使用されました。 このような歴史のもとで、毎年10月の体育の日の前日に執り行われる火祭りは、古式豊かな伝統行事として奈良県の無形民俗文化財に指定されています。。 由緒書 |
徃馬大社 本殿御祭神 伊古麻都比古神(産土の大神) 伊古麻都比費神(産土の大神) 気長足比売尊(神功皇后) 足仲津比古尊(伸哀天皇) 誉田別尊(応神天皇) 葛城高額姫命(神功皇后の母君) 気長宿祢王命(神功皇后の父君) 本殿七柱の他に境内外摂末杜二十杜が合わせ祀られております。 往馬大杜は本来生駒山を御神体山として御祀りされた古社であり、『総国風土記』や『正倉院文書』にも記載が見られ、古代より朝廷の崇敬厚き神杜であリ、『延喜式』では官幣大杜に列せられていました。 当初神杜の御祭神は二柱でございましたが、中世に五柱を合祀して、本殿御祭神は現在の七柱となリました。神杜の宝物『生駒曇茶羅』(県指定文化財、室町時代)には七柱の神々と立派な杜殿が描かれておリ、当時の隆盛を物語っておリます。 生馬大社は古くから火の神として尊ぱれ、歴代天皇の大嘗祭に用いられる火きリ木(うわみず櫻)は当杜よリ献上したもので、昭和天皇の大嘗祭にも、また、去る平成2年に執リ行われた平成の大嘗祭の「斎田点定の儀」にも.当社の火きり木が使用されました。 このような伝統のもとで、例年10月10目、11目の往馬大杜の例祭は、壮大な火祭リとして古くから瀧田の風神祭、広瀬の水神祭と共に深い信仰を集めた古式豊かな伝統行事(無形文化財)であリます。 由緒書 |