岡田国神社
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   【延喜式神名帳】岡田国神社(大 月次/新甞) 山城国 相楽郡鎮座

   【現社名】岡田国神社
   【住所】京都府木津川市木津大谷105
       北緯34度43分45秒,東経135度49分29秒
   【祭神】生国魂命 菅原道眞 気長足仲彦命 気長足姫命 誉田天皇
       右殿生國魂尊・菅原道眞公・左殿仲哀天皇・応仁天皇・神功皇后 『神社明細書』

   【例祭】10月21日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】斎明天皇御宇5年(659)9月、生国魂尊を祀ったのが創立
       貞観元(859)年正月27日 従五位上『三代実録』
       平安時代天神信仰が高まった頃、菅原道真公を合祀し、天神宮と称した
       天慶元年(938)11月、相殿の八幡宮が創建
       永禄10年(1567)焼失
       安永年間(1772−81)造営
       明治6年(1873)5月郷社
       明治11年(1878)5月、岡田国神社と確定

   【関係氏族】
   【鎮座地】木津川の洪水や流路の変化によって移転はあったと思われる

   【祭祀対象】
   【祭祀】平安時代より天神宮と称した。「木津駅惣社天神社」とも称した
   【社殿】左右本殿春日造
       拝殿・能舞台・氏子詰所二・社務所・土藏

   【境内社】恵美須神社(祭神事代主尊・大國主尊)・嚴島神社(市杵島姫命)
        稻荷神社(宇賀魂命)・白太夫神社(渡邊白太夫)・八王子神社(熊野久須日命)
        天王神社(須佐之男命)・日出神社(天之忍穂耳命)・水谷神社(速秋津姫命)


山麓、集落のはずれに鎮座する。大社である。現在は新しい社殿が建てられているが、その北側一段低い地に社殿一式がそのまま残っている。この旧社殿は、府登録文化財である。
斎明天皇御宇5年(659)9月、生国魂尊を祀ったのが創立と伝えられ、延喜式内月次新嘗の大社。平安時代天神信仰が高まった頃、菅原道真公を合祀し、天神宮と称した。相殿の応神天皇を祀った八幡宮の創立は天慶元年(938)11月である。明治6年5月郷社に列せられ同11年3月、岡田国神社と確定される。 昭和58年10月、旧本殿の老朽化と立地条件を考慮し、相殿とあわせて新本殿に御動座願った。慶長9年(1604)、徳川家康より天神宮へ山林が寄附され、今尚四万坪を所有している。
昭和49年、日本住宅公団による木津ニュータウンの建設に伴い、社地は売却された。昭和58年、その資金で旧社殿を残したままで、南の隣接地の山の中腹に現在の新社殿が完成した。


岡田国神社

岡田国神社 通称天神宮 由緒
御祭神 生国魂命尊  菅原道眞公
相殿之神 八幡大神 応神天皇 比盗_ 神功皇后
本社の創立は人皇37代斉明天皇5年9月と伝えられ生国魂尊を奉斎せられました。御遷宮に当たり御敷地を発掘調査せし処一万三千年前の石器その他奈良時代前後の土器多数が出土いたしました。
醍醐天皇勅撰延喜式所載月次新嘗大社に列する。三代実録に云う、清和天皇貞観元年正月27日奉授岡田鴨神、岡田国神■従五位下授従五位上。八幡宮の創設は天慶元年11月と伝えられます。平安時代に至り天神信仰が高まりまして当社も菅原道真公を祀って以来通称天神宮と称されました。明治6年5月被列郷社。明治11年5月延喜式内岡田国神社に確定。慶長9年9月京都所司代板倉伊賀守徳川家康公の内命により社■等十分御改めの上境内山林の寄付をされました。この社有地の一部を今度日本住宅公団に買収されましてその代金により斯くの如く新社殿の造営をいたしました。鳥居扁額は北野天満宮宮司片桐勤氏の執筆です。
旧本殿は安永3年11月、旧拝殿は元和6年5月の再建、摂社恵美須社並びに稲荷社は明治9年字池田3番地より又厳島社は同年字雲村41番地より遷座されました。本殿以下座詰所能舞台まで京都府文化財の要請により永久保存と決定致しました。
昭和57年10月記

社頭掲示板



岡田国神社

木津町大字木津小字大谷一
岡田国神社は、近世まで「天神社」と称し、木津郷五か村の氏神として祀られてきました。創立については明らかでありませんが、明治11年(1878)に延喜式内岡田国神社に比定されました。
西面する境内の社殿配置は、石垣の上に透塀を構えた一段高い所を神域として、木殿・摂社・小社などが建ち並び、その下の広場には、舞台を中心にしてそれを囲むように拝殿・南北の氏子詰所を配しています。現在の諸建物は、拝殿が元和6年(1620)に建立、両本殿が安永3年(1774)に再建、南北両氏子詰所が明治40年(1907)に改築、舞台が同43年(1910)に改築されたものです。
本殿は、左右両殿より成り、同一形式の同一規模の一間社春日造の社が並んでいます。このような本殿のあり方は、春日大社の影響を示すもので、奈良県下を中心に見られますが、府下において同時期に同一規模で社殿が建立されているのは希な例となっています。
拝殿は、切妻造で本瓦葺の桁行五間、梁行二間の大型の建物で、柱太く力強い梁組を見せる、希少な建物です。
舞台は、方一間の切妻造で桟瓦葺の質素な建物です。
この舞台を挟んで南北に相対する両氏子詰所は、「仮屋」とも呼ばれる、桁行六間・梁行二間の切妻造で桟瓦葺の建物で、舞台を意識して、床面全体に緩やかな傾斜を付けた造りとなっています。
当神社にみられる、舞台を中心に拝殿・南北氏子詰所が配された構成は、府南部の相楽郡地域に伝わる配置形態ですが、現在この形式を保存している神社は少なく。山城地方の室町時代の惣の社の姿を伝えるものとして重要な遺構となっています。
このように、貴重な遺構の多い岡田国神社は、昭和63年3月、社殿が府登録文化財、北面の森を含む境内一帯は、文化財環境保全地区に決定されました。
また、当神社では、毎年10月21日に木津の秋祭り「蒲団太鼓台祭」が盛大に行われます。
昭和63年3月
木津町教育委員会


社頭掲示板



岡田国神社

岡田国神社はもとは、加茂町にある岡田鴨神社と同等の扱いを受ける神社として存在していたと考えられています。その後明治11年(1878年)、天神社が延喜式内社「岡田国神社」に改名されました。旧木津郷内五か村(大路村・千童子村・枝村・小寺村・南川村)の氏神です。旧社殿は室町時代の惣の社の姿を伝える重要なものとして京都府登録文化財、神社の森は京都府文化財環境保全地区となっています。
つぶやき
10月には100名前後の担ぎ手により神輿祭がおこなわれます。文化3年(1806)以降に、木津本郷での祭りを木津祭りと称すようになったといわれています。幕末のころには7基あったという神輿は現在は5基で、御靈神社、岡田国神社、田中神社に宮入り(拝殿廻り)します。

社頭掲示板



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