佐牙神社
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   【延喜式神名帳】佐牙乃神社 鍬靫 山城国 綴喜郡鎮座
          (旧地)大神宮跡 佐牙神社【旧地】

   【現社名】佐牙神社
   【住所】京都府京田辺市宮津佐牙垣内164
       北緯34度47分33秒,東経135度47分0秒
   【祭神】佐牙彌豆男神 佐牙彌豆女神
       天津神吉田大明神とされていた

   【例祭】10月16日 例祭 10月17日 例祭 10月18日
   【社格】旧村社
   【由緒】敏逮天皇2年(573)咋岡ノ山本に鎭座
       延暦13年(794年)現在の地に創建された『延喜式内佐牙神社本源記』
       大同元年 (806年)神領寄進あり
       永享年間(1429−41)三山木の山本より現在地に遷
       永正6年(1509)兵火により本殿焼失
       同11年(1514)に再建
       天正4年(1576)にまた焼失
       同13年(1585)に再建

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初咋岡ノ山本に鎭座
        後に宮津小字江津に移建された

   【祭祀対象】
   【祭祀】天津神吉田大明神とされていた
   【社殿】本殿は左右二殿存在し、共に総桧皮葺の春日造
       鎌倉期典型的な身舎三方の蟇股を有し、大正3年旧国宝
       昭和25年重要文化財に指定されている。
       拝殿・社務所

   【境内社】蛭子神社(祭神事代主神)・大神宮(天照皇太神)
   【神宮寺】恵日寺 佐牙神社の神宮寺で江津の正福寺に残る不動明王坐像(本体)
   並びに同脇立二体と山本の壽宝寺にある同脇立二体の合計五体と五大明王及び上記両寺にある
   大般若経各三百巻もこの廃寺のものであつた


敏達天皇2年勅して酒部連友三と云人に命じて、佐賀彌豆男神 佐賀彌豆女神を咋岡ノ山本に鎭座し、後に宮津小字江津に移建された。
当社には恵日寺という神宮寺が存在した。当社の石段は二段階に分かれており、その中間がやや広く、現在は何も建つていないが、かつての神宮寺恵日寺跡と言われている。
山の中腹に東面して鎭座する。


佐牙神社の由来

社伝には敏達天皇の2年(西暦573年)始めてこれを祭られる。 造酒司(さけつくりのつかさ)の奉弊があったとつたえられる。また東朱智社とも言ったらしい。当社は昔山本村(遠藤川の北側府道より少し東)にあったのが、垣武天皇延暦13年(西暦794年)現在の地に創建されたと伝えられ、平城天皇大同元年(806年)神領寄進あり延喜の制には小社に列せられ、字山本はこれを氏神として 今なお旧地を御旅所として祭日には神輿の渡御がある。この附近は往古佐牙野と呼ばれ、筒城野の東、南は裾野川(今煤谷川と言う)、北は朱智川辺までの名称と思われる。また佐牙垣内(さがかいと)のなが江津に残っていおり、社名と地名が同一であったことが知られる。古事記の開化天皇の段に山代之荏名津比売(やましろのえなつひめ)の名が出ている。この荏名津は旧名江の津(今の江津)であろうと推定されている。
当社の社殿は永正6年(1509年)12月6日菱田監物(けんもつ)と森村信濃守と土地争論のことがあって兵火にかかり、永正11年8月山本主馬介義古一族等によって再建されたが、天正4年(1576年)10月20日また火災にかかって焼失したが、同13年9月13日さらに新築して遷宮式をあげたとつたえられている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



佐牙神社(式内社)

佐牙彌豆男神と佐牙彌豆女神を祭っています。社伝によると、敏達天皇2年(573)の創建とされます。造酒司の奉幣があったといい我が国の酒つくりの発祥と関係が深いものと見られます。
大同元年(806)頃には摂津国に封戸九戸がありました。古文書によると三山木の山本にあったものを永享年間(1429−41)に現地へ移すとあります。現在も山本に御旅所があり、祭日には神輿の渡御があります。
現本殿(二棟国指定重要文化財)は天正13年(1585)の再建とされますが、形式は古く、ことに身舎の蟇股は左右対称の図案で室町時代初期と考えられ、旧建物の再利用と見られます。左右二棟とも同型式の春日造りで屋根は桧皮葺です。
10月17日 例祭 御幸祭
10月18日 還幸祭
田辺町教育委員会
田辺町文化財保護委員会

社頭掲示板



佐牙神社

社伝では、573年に建てられたとされる。 2社からなる左右両殿同形式の本殿は、重要文化財である。 本殿は、重要文化財に指定。左右ニ殿からなり、ともに一間社春日造り桧皮葺、ただし、向拝は天明6年(1786)の後補である。 身舎(もや)三方にとりつけた6個の蟇股は、その輪郭は鎌倉風のものであり、内部の彫刻も左右対称的なデザインからなり、特に向かって右殿正面の「柏の葉」「ふくろう」のそれは鎌倉風の秀逸である。 平成14(2002)年に屋根の葺き替えとあわせて鮮やかな丹塗りが蘇った。

京田辺市観光協会



佐牙神社

京田辺市宮津佐牙垣内164番地
社伝によると、敏達天皇2年(573)の創建と伝える。式内社である。造酒司の奉弊があったとも伝え、我が国の酒づくりの発祥と関係が深いものとみられている。大同元年(806)頃には、摂津国に封戸九戸があった。地元の古文書によると、山本にあったものを永享年間(1429〜41)に現在地に移すとある。今も山本に御旅所があり、祭日は神輿の渡御がある。なお、江津の遠藤川南側の木津川との合流点付近にあったと伝える。佐牙弥豆男神(北殿)と佐牙弥豆女神(南殿)を祭る。現本殿(二棟・国指定重要文化財)は、天正13年(1585)の再建とされるが、形式は古く、ことに身舎の蟇股は左右対称の図案で室町時代初期と考えられ、旧建物の一部の再利用とみられる。南北二棟とも同形式の春日造で、屋根は檜皮葺である。
例祭・御幸祭10月17日(現在は体育の日の前日)
   還幸祭 10月18日(現在は体育の日)
京田辺市教育委員会
京田辺市文化財保護委員会

社頭掲示板



恵日寺跡

京田辺市宮津佐牙垣内164番地
明治初期の神仏分離により、佐牙神社境内にあった神宮寺の恵日寺も廃寺となった。そのため、本尊の不動明王像(南北朝時代)と太威徳明王像・軍茶利明王像が近くの正福寺(江津)に、降三世明王像・金剛夜叉明王像と観音堂にあった干手観音立像が寿宝寺(山本)にそれぞれ移され、大般若経も三百巻ずつ両寺に分けられたと伝えられている。
文政12年(1829)の古文書によると、秋祭の御旅所への神輿渡御には寿宝寺(山本)と、恵日寺の僧侶も列に加わっている記述が見られる。また、1月10日の佐牙神社の初座(弓始・弓講)には、恵日寺の法印が弓射の儀をしたと伝える。
なお、佐牙神社の本殿の南隣の丘陵地に奈良時代以前に創蓮された寺があったとみられ、現在、三山木廃寺跡の碑が建っている。
京田辺市教育委員会
京田辺市文化財保護委員会

社頭掲示板



佐牙乃神社 鍬靫

佐牙乃は假字也○祭神詳ならず○江津村に在す、今天神と称す、山城志

神社覈録



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