敏達天皇2年勅して酒部連友三と云人に命じて、佐賀彌豆男神 佐賀彌豆女神を咋岡ノ山本に鎭座し、後に宮津小字江津に移建された。 当社には恵日寺という神宮寺が存在した。当社の石段は二段階に分かれており、その中間がやや広く、現在は何も建つていないが、かつての神宮寺恵日寺跡と言われている。 山の中腹に東面して鎭座する。 |
佐牙神社の由来 社伝には敏達天皇の2年(西暦573年)始めてこれを祭られる。 造酒司(さけつくりのつかさ)の奉弊があったとつたえられる。また東朱智社とも言ったらしい。当社は昔山本村(遠藤川の北側府道より少し東)にあったのが、垣武天皇延暦13年(西暦794年)現在の地に創建されたと伝えられ、平城天皇大同元年(806年)神領寄進あり延喜の制には小社に列せられ、字山本はこれを氏神として 今なお旧地を御旅所として祭日には神輿の渡御がある。この附近は往古佐牙野と呼ばれ、筒城野の東、南は裾野川(今煤谷川と言う)、北は朱智川辺までの名称と思われる。また佐牙垣内(さがかいと)のなが江津に残っていおり、社名と地名が同一であったことが知られる。古事記の開化天皇の段に山代之荏名津比売(やましろのえなつひめ)の名が出ている。この荏名津は旧名江の津(今の江津)であろうと推定されている。 当社の社殿は永正6年(1509年)12月6日菱田監物(けんもつ)と森村信濃守と土地争論のことがあって兵火にかかり、永正11年8月山本主馬介義古一族等によって再建されたが、天正4年(1576年)10月20日また火災にかかって焼失したが、同13年9月13日さらに新築して遷宮式をあげたとつたえられている。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
佐牙神社(式内社) 佐牙彌豆男神と佐牙彌豆女神を祭っています。社伝によると、敏達天皇2年(573)の創建とされます。造酒司の奉幣があったといい我が国の酒つくりの発祥と関係が深いものと見られます。 大同元年(806)頃には摂津国に封戸九戸がありました。古文書によると三山木の山本にあったものを永享年間(1429−41)に現地へ移すとあります。現在も山本に御旅所があり、祭日には神輿の渡御があります。 現本殿(二棟国指定重要文化財)は天正13年(1585)の再建とされますが、形式は古く、ことに身舎の蟇股は左右対称の図案で室町時代初期と考えられ、旧建物の再利用と見られます。左右二棟とも同型式の春日造りで屋根は桧皮葺です。 10月17日 例祭 御幸祭 10月18日 還幸祭 田辺町教育委員会 田辺町文化財保護委員会 社頭掲示板 |
佐牙神社 社伝では、573年に建てられたとされる。 2社からなる左右両殿同形式の本殿は、重要文化財である。 本殿は、重要文化財に指定。左右ニ殿からなり、ともに一間社春日造り桧皮葺、ただし、向拝は天明6年(1786)の後補である。 身舎(もや)三方にとりつけた6個の蟇股は、その輪郭は鎌倉風のものであり、内部の彫刻も左右対称的なデザインからなり、特に向かって右殿正面の「柏の葉」「ふくろう」のそれは鎌倉風の秀逸である。 平成14(2002)年に屋根の葺き替えとあわせて鮮やかな丹塗りが蘇った。 京田辺市観光協会 |
佐牙神社 京田辺市宮津佐牙垣内164番地 社伝によると、敏達天皇2年(573)の創建と伝える。式内社である。造酒司の奉弊があったとも伝え、我が国の酒づくりの発祥と関係が深いものとみられている。大同元年(806)頃には、摂津国に封戸九戸があった。地元の古文書によると、山本にあったものを永享年間(1429〜41)に現在地に移すとある。今も山本に御旅所があり、祭日は神輿の渡御がある。なお、江津の遠藤川南側の木津川との合流点付近にあったと伝える。佐牙弥豆男神(北殿)と佐牙弥豆女神(南殿)を祭る。現本殿(二棟・国指定重要文化財)は、天正13年(1585)の再建とされるが、形式は古く、ことに身舎の蟇股は左右対称の図案で室町時代初期と考えられ、旧建物の一部の再利用とみられる。南北二棟とも同形式の春日造で、屋根は檜皮葺である。 例祭・御幸祭10月17日(現在は体育の日の前日) 還幸祭 10月18日(現在は体育の日) 京田辺市教育委員会 京田辺市文化財保護委員会 社頭掲示板 |
恵日寺跡 京田辺市宮津佐牙垣内164番地 明治初期の神仏分離により、佐牙神社境内にあった神宮寺の恵日寺も廃寺となった。そのため、本尊の不動明王像(南北朝時代)と太威徳明王像・軍茶利明王像が近くの正福寺(江津)に、降三世明王像・金剛夜叉明王像と観音堂にあった干手観音立像が寿宝寺(山本)にそれぞれ移され、大般若経も三百巻ずつ両寺に分けられたと伝えられている。 文政12年(1829)の古文書によると、秋祭の御旅所への神輿渡御には寿宝寺(山本)と、恵日寺の僧侶も列に加わっている記述が見られる。また、1月10日の佐牙神社の初座(弓始・弓講)には、恵日寺の法印が弓射の儀をしたと伝える。 なお、佐牙神社の本殿の南隣の丘陵地に奈良時代以前に創蓮された寺があったとみられ、現在、三山木廃寺跡の碑が建っている。 京田辺市教育委員会 京田辺市文化財保護委員会 社頭掲示板 |
佐牙乃神社 鍬靫 佐牙乃は假字也○祭神詳ならず○江津村に在す、今天神と称す、山城志 神社覈録 |