鴻の巣山の西へ延びる尾根の先端中腹の神社。 「山城国風土記」逸文に、「久世の郡水渡の社祗社」とあることから、風土記が編纂された奈良時代には存在したと考えられる。 |
水度神社の由来記 創祀の年代は平安時代初期と伝う。史実によれば、清和天皇の貞観元年(859)従五位の下の神位を授けられ、延喜の制には小社に列せられる。明治6年には村社、同15年には郷社に、同40年には府社に昇格、現在は社格が廃止され、神社本庁に属する宗教法人水度神社と称する。 旧地は境内領東に往古鴻が巣を結んだ鴻の巣山の峯つづきにあたる大神宮山であったと伝う。現在の地へは鎌倉時代の文永5年(1268)に旧地より遷し奉り今日に及ぶ。由来寺田郷の産土神として氏子の信奉篤く、近年近郷よりの参詣者もその数を増す。 本殿は、正面一間、側面二間の変化に富んだ流れ造り破風様式(千鳥正面破風)で、簡素にして優美な建築である。社殿棟札(重要文化財)によれば、室町時代の文安5年(1448)の建立になる。その後、桧皮葺替えの修理を重ね今日に至る。現在は重要文化財に指定されている。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
水度神社 城陽市寺田水度坂 鎮座 ご祭神 天照皇大神 高皇産霊神 和多都美豊玉姫命 神社の由来記 創祀の年代は平安時代初期と伝う。史実によれば貞観元年(859)従五位下の神位を授けられ、延喜の制には小社に列せられる。明治6年村社、同15年郷社、同40年府社に昇格、現在は社格廃止され神社本庁に属する宗教法人水度神社と称する。 旧地は境内領東に往古鴻が巣を結んだ鴻の巣山の峰続きにあたる大神宮山であったと伝う。現在の地へは鎌倉時代の文永5年(1268)に旧地より遷し奉り今日に及ぶ。由来寺田郷の産土神として氏子の信奉篤く近年近郷よりの参詣者もその数を増す。 本殿は正面一間、側面二間の変化に富んだ流れ造り破風様が(千鳥正面破風)で簡素にして優美な建築である。社殿棟札(十分)によれば室町時代の文安五年(1448)の建立になる。その後檜皮葺替えの修理を重ね今日に至る。現在は重要文化財に指定されている。 小宮十社 天満宮社 日吉神社 太神宮社 加茂神社 八幡神社 厳島神社 松尾神社 稲荷神社 春日神社 竜王神社 神社の大祭 9月30日例祭 10月2日大祭 社頭掲示板 |
水度神社 鴻ノ巣山のふもとにある水度神社は、旧寺田村の産土神で、祭神は天照皇大御神・高御産霊神・少童豊玉姫命です。「山城国風土記」逸文に、「久世の郡水渡の社祇社」とあることから、風土記が編さんされた奈良時代には存在したと考えられます。平安時代前期に成立した『延喜式』には、「水度神社三座」と記されています。 重要文化財の本殿は一間社流造で、文安5年(1448年)に造営された市内に現存する最吉の建物です。屋根は檜皮葺で、正面に大きな千鳥破風があります。また、庇の正面中央には、透彫の唐草と笹りんどうをあしらった欄間がつけられ、意匠を凝らした優美な建物です。 水度神社には京都府登録文化財の「おかげ踊り図絵馬」と、城陽市指定文化財の「鉄湯釜」、「大般若経」があります。「おかげ踊り図絵馬」は、文政13年(1830年)11月1日に寺田村北東町の人々が水度神社に奉納したおかげ踊りの様子を描いたものです。 「鉄湯釜」は、湯立て神事に使われていたと考えられ、銘文から応永32年(1425年)に作られたことがわかります。 「大般若経」は、鎌倉時代前期にさかのぼる書写経で、村落における信仰の歴史を知る貴重な資料です。 城陽市教育委員会 社頭掲示板 |