双栗神社
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   【延喜式神名帳】双栗神社 三座 山城国 久世郡鎮座

   【現社名】双栗神社
   【住所】京都府久世郡久御山町佐山双栗
       北緯34度52分34秒,東経135度45分27秒
   【祭神】天照大御神 須佐之男命 事代主神 棟本八幡宮 品陀和氣命 息長帶日賣命 比淘蜷_ 大雀命
   【例祭】1月1日 元旦祭 8月31日 八朔祭 10月8日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】貞観元年(859)正月27日正六位上の双栗神に從五位下を授ける『三代実録』
       仁平二年(1152)神輿が造立され、この年より御旅所まで神幸祭が始まつた
       応保2年(1162)勲一等椏本一品八幡大菩薩という號や神田が授けられる
       文明元年(1469)6月28日付、管領細川勝元の署名になる八幡宮領狭山郷の安堵状
       永禄3年(1560)足利義輝から禁制の下知状下付
       寛永7年(1630)徳川家光より神田及び叢林等を賜う
       明治6年8月郷社に列す
       明治8年5月には郷社式内双栗神社と決定される

   【関係氏族】羽栗氏(葉栗氏)
   【鎮座地】当初鎮座の地と思われる

   【祭祀対象】羽栗氏の祖神
   【祭祀】江戸時代は「椏本八幡宮」と称していた
       途中名称が変わったが祭神は一貫していたと見られる

   【神宮寺】社の近隣に五カ寺の神宮寺が存在していた


往古宇治田原より勧請されて成立した双栗社は、中世以降石清水八幡宮の影響をうけて椏本(あてもと)八幡宮という異称を生じ、祭神も加増されて祀られるようになつたものとみられる。
「双栗神社三座」とあることから、本来は天照皇大神、須佐之男命、事代主命の三神が祭神で、誉田別尊似下は椏本八幡宮と称せられるようになつたのちに祀られるようになつたものと思われる。
羽栗の羽の字が伝写の間に草書の双に訛り、ついに双栗神社となつたのであり、元来は羽栗神社と称していたとの説あり。
天治2年(1125)春2月に鳩峯、すなわち石清水八幡宮の鎭座する綴喜郡八幡町の男山より毎夜金色の光が差して、この地の椏の木の梢に輝くこと日の輝きのようであつた。七日後、この地の開拓先祖である橘氏に「八幡宮を此所に勧請して国家安全を祈らば我能庶民を守るべし」との夢告があり、やがて橘氏はこれを朝廷に奏して、ついに椏の木のもとに神祠を造立したと伝。


重要文化財

双栗神社本殿
祭神 天照大神・素盞鳴命・事代主命・応神天皇・比淘蜷_・仁徳天皇・神功皇后
当社は貞観元年(859)正月27日に、従五位下の神位を賜い延嘉の制には小社に列せられ、また「延喜式神明帳」にも山城国久世郡神社三座と記されてあり、古くから神社の存在していたことがわかる。
廷宝四年(1676)の奥書を持つ「椏本八幡宮起によると、応保2年(1162)当宮に勅使が立てられ、勲一等を受け、神田を賜い、椏本一品八幡大菩薩と号し、橘氏をもって神司と定められたという。
その後明治15年(1882)に至って、双栗神社と旧号に復されているが、創建時の本殿の形式については明らかでなく、古記に応保2年に造営され、明応3年(1494)には屋根の葺替えを行ったと記されており、現本殿はこの明応3年に建立されたものと考えられる。
昭和56年10月3日
久御山町郷土史会

社頭掲示板



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