片山御子神社の「御子」は「神の御子」ではなく「巫女」(ミカンコ)の意で祭神は最高巫女の神格化せられた神とみなければならないとし、祭神を玉依比売命とする。 この片山の御子神が神山以来の別雷神に仕えた巫女神であつたことを物語つている。 古来より賀茂別雷神社の第一摂社であり、現在もそうである。本宮の祭典に当つては神饒を献し終つて祝詞の奏上にうつるのは、古今を通じて同様であるが、その祝詞の以前に本宮の献饌を終つて直ちに第二席の神職(維新前には片岡社の禰宜と祝との二員)が片岡社に参向して祭祀を行ふのである。その祭祀中、片岡社に対する祝詞が終るや、神人(維新までは社務の預役)が「片岡社の土まつり」といふ詞を申すのである。本宮ではその詞を聞いて後、本宮に祝詞を奏上する例となつている。(『賀茂社祭神考』)。この次第はすでに『嘉元年中行事記』にみえ、その起源の古いことを示している。 賀茂別雷神社の楼門の手前、御物忌川を隔てて片岡山(鶴ケ丘)の西麓に南南西に向つて鎭座する。 祭神の異説として 大己貴命 上賀茂神社の地主神とみて『尊号諸家之説』 事代主命 御子神ということから、地主神大己貴命御子『尊号諸家之説』 別雷神御子神 片山に坐す別雷神の御子神 の意(神名不詳)『特選神名牒』 玉依彦命 賀茂県主の祖神とする 『神名帳考証』 |
片山御子神社 祭神 玉依比賣命 一柱一座 延喜式内の古社である。『延喜式』には、「片山御子神社 大、月次 相嘗 新嘗」と載せている。賀茂県主族の祭祀の権を握って居られた最高の女性、本宮御祭神別雷神を感得せられた神で、常に別雷神の御側に侍ってお仕え申し上げておられたのである。 よって現在にあっても本宮恒例の祭祀には、先ず当神社に祭を行う例となっている。それは只今より御奉仕申し上げる本宮のお祭りは、御祭神の御名によって、お仕え申し上げる由を、予め奏上せんとする意味から行うのである。 古来第一摂社と崇められている。事情かくの如くであるので、皇室の御崇敬も厚く、本宮へ行幸、御幸等の場合は当社へも奉幣あらせられることが屡々あった。 天正19年6月11日正一位を奉られている。古く当社の後ろに「よるべの水」を湛えた甕が三個あったが、天正年中汚穢を懼れて地下に埋没したという。 社頭掲示板 |
片山御子神社 片山御子神社とは、楼門近くに鎮座する、賀茂別雷神社(上賀茂神社)境内にある24社ある攝末社の中で第1摂社に定められる神社(通称「片岡社」)で、上賀茂神社の祭神である賀茂別雷大神の母神、賀茂玉依比売命をお祀りしております。 天正19年(1591)6月11日には朝廷より神様の最も高い位である「正一位」という神階が授けられ、片岡社に対する篤い信仰があったことが伺えます。 また、片岡社ご祭神の賀茂玉依比売命は平安の昔より縁結び、恋愛成就、家内安全、子授け、安産の神様として著名であり、源氏物語の作者である紫式部も参拝をされております。 片山御子神社は延喜式の古社であり、『延喜式』には、「片山御子神社(大、月次、相嘗、新嘗)」と記載されている。 賀茂縣主族の祭祀権を握っていた最高の女性、本社御祭神である賀茂別雷大神をお生みになった神で、常に賀茂別雷大神の御側にお仕えされているのである。 よって現在にあっても本社恒例の祭典には、先づ当神社で祭りを行う事が例(片岡社先祭)となっており、それは只今より本社で行われるお祭は御祭神が行ったようにご奉仕する由を申し上げる祭です。 公式HP |