賀茂別雷神社の東にあり。小さな谷間になった山裾にある。 野生のかきつばたで有名である。5月中旬が見頃 口傳によると、壬生・丹生・小野・六人部等の氏族が先に上賀茂に居り大田社を奉祀していたが、のち賀茂族がこの地に入ってから賢茂社の摂社になつたという。 明治の神仏分離以前には、大田の沢のすぐ南に神宮寺があつた。しかしその起源・沿革等は不詳である。 境内にある大田の沢は古くから杜若(かきつばた)の群落地として有名であり、『俊成卿文治6年五社百首』(群書類從所収)の中では、 神山やおほたの澤のかきつばたふかき頼みは色にみゆらむ と歌わており、昭和14年9月7日に天然紀念物として文部省から指定をうけている。 |
大田神社 古くは恩多社と呼ばれたこともあり、上賀茂神社の攝社である。祭神は天鈿女命と猿田彦命を祀っており、延喜式内の古社で、この付近の沼沢池を開墾して栄えた賀茂氏の崇敬を受けた神社である。 右方東側の沢池を「大田の沢」といい、野生のかきつばたが美しい。藤原俊成の古歌に 神山や大田の沢のかきつばた ふかきたのみは色にみゆらむ と詠われ、平安時代からこの付近の沢地には、かきつばたが咲きみだれて、名勝となっていたようである。現在でも五月中旬には、濃紫、鮮紫の花が美しく咲く。このかきつばたの群落は、国の天然記念物に指定されている。 なお、例祭は4月10日と11月10日である。 社頭掲示板 |
賀茂別雷神社第三摂社 式内 大田神社 御祭神 天鈿女命 一柱一座 末社 白鬚社 東側に鎮座 御祭神 猿田彦命 一柱一座 末社 百大夫社 西側に鎮座 御祭神 船玉神 一柱一座 御事歴 大田神は一に恩多神といひ、天鈿女命を祀る。賀茂に於ける最古の神社で古来長寿福徳の神としての信仰がある。賀茂別雷神社の御鎮座以来攝社として尊信を捧げてゐる。延喜式内の古社である。保安元年2月26日鳥羽天皇の本宮行幸の際、始めて官幣に預り、その後度々この事が行われた。近世以来宮家その他貴顯の信仰篤く、看護成とて御神の眷族となって寿命長久を希ふ儀が行われる。 例祭 4月11月10日 正 5 9月の各10日御内儀祈願祭 例月10日夜、里神楽奉参 末社御事歴 猿田彦神 は天孫降臨に際し、御前を承られた神、道路安全の御神徳が高い。 船玉神 は船霊神である。航海魚漁守護の神。又岐神。道祖神として崇められ道路の安全をも司り給ふ。 総合御神徳 大田神を中心とする以上三柱の神は、末社福徳神を加えて、何れも福神としての高き御神徳を有たせられる。これ等四柱の神を以って、所謂大田神社が形造られるので、四神不可離の関係に立たせられてゐる。されば、大田神といへばこれ等四柱の神神を総括した神として崇め奉るのが本肯である。 社頭掲示板 |
神事・祭事 毎月10日 夜7時頃から巫女舞が行なわれる。 また、1月1日元日、2月3日節分にも巫女舞が行なわれる。4月と11月は例祭のため朝10時ごろから行なわれる。毎月10日に行なわれるようになったのは、昭和になってからとされている。それまでは不定期であったが、いつ頃から10日に舞われていたかは不明である。上賀茂神社に大きな神事が無い頃を選んだとも考えられるが、明確ではない。 夜に巫女舞が行なわれるのは、古来夜は神が人の目にふれず、神気が高まる時とされていることに起因する。神秘的な闇の中での神事は人々に怖れの心を抱かせるが、この怖れこそが、神への畏敬の念を生み、また神を表すものでもある。深夜、ろうそくの薄明かりのなかで老女の巫女が舞う姿は、外部の人には恐ろしい鬼のように見えるかもしれないが、それが地もとの人々にとっては神である存在になるのである。 大田神社の巫女舞は月のさわりのなくなった老女が行うとされている。神の依りしろとなるには、血の穢れの無いものがふさわしく、一般には若い処女がこれにあたるが、むかしから、ここでは神徳の寿命長久にならって老女があたっている。
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大田神社 当神社は延喜式神名帳に記載されている古社で一各に恩多社とも云われる。鎮座年代は不詳なれど賀茂に於ける最古の社であり、賀茂県主族の移住以前より農民から長寿福徳の神として信仰が寄せられていたようである。ご祭神の天鈿女命(あめのうずめのみこと)は、天岩戸の前でお神楽をされた神で、その御神徳を慕っで芸能上達を願い参拝される方が多い。 また、境内東側の沢地を大田の沢(おおたのさわ)どいい、野生のカキツバタが美しい。藤原俊成(しゅんぜい)卿の和歌に「神山や大田の沢のかきつばたふかきたのみば色にみゆらむ」と詠われ、平安時代からこの地にカキツバタが咲きみだれて、すでに各勝となっていたようである。今日でも5月中句頃には、濃紫、鮮紫の花が美しく沢一面に咲く。このカキツバタの群落は紹和14年に国の天然記念物に指定されている。 倒祭は4月10日と11月10日である。 京都市 社頭掲示板 |
蛇の枕 鳥居前に架かる石橋右側下の水面から、小さな石が顔をのぞかせている。この石は「蛇の枕」または「雨石」と呼ばれ、蛇が枕にしていたと伝える。蛇は雨を降らせる生き物とされ、この蛇がいる枕のもとに行けば、雨乞いができると考えられた。儀礼は、この枕石を農具(鉄器)などで叩いて行われる。こうすることで、枕を叩かれた蛇が怒って雨を降らせるという言い伝えがある。 社頭掲示板 |
大田神社 大田は於保多と訓べし○祭神大田命、(猿田彦大神別名)○上賀茂村大田山麓に在す、(山城志○別雷社の摂社也 類社 摂津国島下郡太田神社、(鍬靫)近江國高島郡大田神社、 官幣 頭注云、鳥羽院天永3年官符、預案上官幣、 雑事、 百練抄、建保3年12月月25日、有杖議、是延暦寺訴申賀茂大田社神主清平敦害白山神人間事也、」建長4年11月8日戊子、賀茂太田社壇鹿斃(件鹿氏人於大田山奥射之、鹿雖被疵走來社傍斃、)事、被問外記官、無先規之由申之、被尋法家之処、可為五个日穢之由申之、仍朝夕御供為鳥居外供之、 光継家集に、建保5年4月ころ、れいならぬ事大事に侍しに、おもひかけず隣家に侍るきねに託宣ありて、大田社にこよひ内に歌合して奉りたらば、平愈あるべきよし申侍しかば奉りき、社頭述懐、「ふして思ふ心もくるしあすよりは大田の杉の志るしあらはせ、」此歌合病のむしろに志づみながら詠進て、次の日より平愈侍りき、」とあり、連胤云、今世も疾病平愈の祈願をすれば、忽威徳まします、とぞ、 神社覈録 |