大田神社[賀茂別雷神社境内摂社]
おおたじんじゃ                    .


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【祭神】

『神社覈録』は「祭神大田命 猿田彦大神別名」
賀茂別雷神社所藏『尊號諸家之説』には猿田彦大神・天鈿女命
『特選神名牒』「御年神にて賀茂神社の神田に由あるならん」
大田神社という社名が示し、また『特選神名牒』も云うように祭神は本来農業神だつたと思われる。それが猿田彦大神または天鈿女命とされるに至つたのは、猿女君系の鎮魂の呪儀が里神樂として伝わり、祭神が中世以降方除の神あるいは長寿の神として人々の信仰を得てきた結果と思われる。


【かきつばた群落 (国の天然記念物)】

古代、上賀茂神社や太田神社がある上賀茂の地は沼地で、賀茂氏によって開墾されたと言われています。大田神社の東側には今も約2千平方mの沼沢地が残り「大田の沢」と呼ばれています。この沢には古代より野生のかきつばたが美しく群生したと言われ、平安時代の和歌の大家で『千載和歌集』の編者として知られる藤原俊成(ふじわら の としなり)も大田神社のかきつばたを歌に詠んでいます。
  神山や大田の沢のかきつばた
   ふかきたのみは 色にみゆらむ
(意味:上賀茂神社の御降臨山である神山の近くにある大田神社のかきつばたに、
ふかくお願いする恋(いろ)は、かきつばたの色のように一途で美しく可憐なんだろう)
カキツバタの見頃は5月上旬から5月中旬頃です。
大田の沢のかきつばたは、古代の京都が湖だった頃の植生を良く残していると認められ、昭和14年に国の天然記念物に指定されました。


かきつばた

神山や大田ノ沢のかきつばた
 ふかきたのみは いうにみゆらむ
(藤原俊成卿)
上賀茂神社の御降臨山である神山の近くに在る大田神社のかきつばたに(人々が)よくよくお願いする恋事(いろ)はこの花の色のようになんと一途(一色)で美しく可憐なのだろうか
と歌われているようにすでに平安時代には名高い花として知られておりました。
この池の広さは約2000uでかきつばたは5月上旬より紫色の花を咲き初め下句まで沢一面に咲きます。その姿は、実に幽玄可燐で見に来る人々を魅了します。
ここのかさつばたは古代から咲き続けた花として又、深泥ケ池同様古代京都がまだ湖であつた頃の面影を残す泥炭地の一つとして昭和14年に国の天然記念物に指定されております。
かきつばたは、シベリア、サハリン千島および中国、朝鮮とわが国に自生する植物で、アヤメ科アヤメ属に分けられ、かきつばた、あやめ、しょうぶの相違は、かきつばたが水を好むのに対しあやめは陸を好み、かきつばたが5月に咲くのに対ししょうぶは6月に花をつけます。
かきつばたの葉は60〜70cm位になり、花茎の先に直径12cm程度の濃紫色の六枚の花びらを垂らせます。日本での北限は北海道、南限は長崎県です。
大田ノ沢には古くからの言い伝えがあり雲ケ畑の池と底でつながっていおり水が枯れたことがないと言われておりましたが、旱魃のときは沢の水が枯れ井戸水や水道水により旱魃から守ってきました。又ここのかきつばたは「池に手を入れると手が腐る」と言い、人が花を持ち去るのを戒めてまいりました。
大田ノ沢は毎年、冬場に枯れ草や落ち葉などの清掃し寒施肥をしています。この費用の一部は京都賀茂ライオンズクラブの御奉仕によって行われております。
このように大田ノ沢のかきつばたは、遠い遠い昔より多くの人々に愛でられた美しい花でした。これからも変わる事なく愛でられる花として皆様のご協力のもと守っていかなければならないとおもっております。
賀茂別雷神社摂社 太田神社
京都賀茂ライオンズクラブ

社頭掲示板






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