現在式内の出雲井於神社に比定されその社名を称している比良木社は、賀茂御祖神社楼門内西傍にある。この神社の周囲には植えられた木はどのような葉も、柊のようにギザギザになることから、比良木社(柊社)とも呼ばれる。 はじめ出雲氏が井泉を神として祀った神社といわれ、もとの鎮座地を明らかにしないが、出雲氏の衰微によって、いつ頃にか現在の地に移ったとつたえる。 『山城名勝志』および『鳥邑縣纂書』によると、古くは一乗寺村の西、比良木ノ森(柊森)にあつたという。比良木社の現在の祭神は須佐之男命で、地主神とも称している。比良木社の例祭は10月14日である。 しかしこの例祭より、11月28日のお火焚祭の方が地主神としての比良木社の祭にふさはしい。これは、氏子が収穫した野菜を神饌として大量にお供えし、地面に穴を掘りそこで薪を燃し暖をとりながら盛大に行う祭である。 比良木社の本殿は一間社流造、檜皮葺で、寛永五年(1628)の再建になるもので、重要文化財の指定をうけている。 比良木社は井の上に建つていと伝えている。 当社の周囲にいかなる常緑樹を植えても、すべて柊の如く、葉にのこぎりの歯を生じるので、不思議とされている。 志賀剛著『式内社の研究』第三巻によれば、相国寺東門の東、毘沙門町・毘沙門横町付近を当社の旧鎮座地と推定している。 また、本社である御祖神社が摂社たる比良木神の次位(式の順)に記載されているのは不思議である。摂社が本社よりも先に掲げられて式社となつている例はほとんどない。 |
重要文化財 出雲井於神社(いずもいのへのじんじゃ) 祭神 建速須佐乃男命 例祭日 10月14日 「延喜式に」「出雲井於神社」とある神社で「日本書紀」神武天皇2年の条に葛野主殿県主部とある氏族が祖神として奉斎した社である。 この県主部は古代山城北部に蟠踞し、鴨氏と同じ祖先を持ち「神亀3年(726)山背国愛宕郡出雲郷雲上、雲下里計帳(正倉院文書)で知られる氏族である。 大宝令(700)以降、山代国葛野郡は四つに分割され、鴨川の西方より東山までの地域が愛宕郡となり鴨川の東岸が蓼倉郷、西岸が出雲郷となった。「井於」とは、川のほとりのことで、出雲郷の川のほとりに坐す社の意である。 承和二年(844)2月20日、太政官符によって制定された鴨社領出雲郷の総社であったところから、氏神社、地主社としての信仰が厚く、元永2年(1119)2月1日、当神社大火の記録(長秋記、中右記、百練抄等々)に収載の社でもある。 通称を比良木(ひらき)神社と呼ばれているのは、本宮の御陰祭(御生(みあれ)神事)が行われていた犬柴社と愛宕郡栗田郷藪里総社柊社がいずれも同神であったところからこの社に合祀されたので、その名がある。 また、社の周辺に植える木はことごとく柊になるとの伝承があり「何でも柊」と呼ばれ、京の七不思議に数えられている。 現在の社殿は寛永6年度(1629)式年遷宮の時、先の式年遷宮(天正9年 1561)に造営された本宮本殿が移築されたもので中世の鴨社社殿として貴重である。 社頭掲示板 |