【社名】 社名の「出雲」は鎮座地が往古の出雲郷の地であつたことによると考え、「井於」は祭神が井戸(霊泉)の上もしくはそのほとりに鎮座していた故と考えられる。 |
【祭神】 現在の祭神は須佐之男命で、地主神とも称している 「鴨ノ産神」『鳥邑縣纂書』、多々須玉依比売命であるという説もある。「建角身命」『特撰神名牒』 |
【葛野主殿県主部】 日本書紀・神武天皇2年の条に、葛野主殿県主部(カドノトノモリアガタヌシベ)とある人々が祖神として祀った神社とされている。古代山城北部に住んでいたこの県主部たちは、鴨氏と同祖であるといわれている。 葛野主殿県主氏は八咫烏(ヤタカラス)の子孫とあり、ヤタカラスとは、神武東征のときヤタカラスと化して神武の軍を先導して、神武の大和入りを助けたカモタケツヌミを賞して与えられた異名という(新撰姓氏禄)。 これからみると葛野県主氏は、賀茂氏と同族とみられるが、賀茂氏の山城進出以前から葛野地域に居住していた氏族で、6世紀頃に賀茂氏に吸収されたとの説もある。 |
比艮木社 (亦号氏神社亦此号地主神) 祭神詳ならず〇御祖社中門外の坤方に在す 伴信友云、下社の地主神にして、社家賀茂氏の氏神なりといヘり、或人云、此神社に女人の服を調進る例なりと聞り、ごれ真ならば玉依媛命を祭れるにやあらん、この媛命を賀茂の氏人の氏神と称はむは、謂れなきにはあらざれど、猶いかにぞや、また此社を素盞嗚尊なりと云伝説も有とそ、賀茂の氏人の氏社なるを志かいふは、由もなき事なり、されど後世地主と称ふ神には、既く其処に坐シましゝ神をいふならひなるが多きを思へば、素より素盞嗚尊を祭れる社の在来しを、後に賀茂の氏神を合せ祀れるにも有べし、なほよく証し考ふべしと云り、 雑事 帝王編年記、元永2年11月1日、鴨御祖社宝殿巳下燃亡、(失火)御体先奉渡卸読経所、其後奉移地主明神神殿、(号比良木明神)長秋記に、賀茂下社氏神社、(仲社本社外廻廊西南也」)四季物語(追儺の條に)云、柊は吾神の社より奉る事定れる故実とかや、 神社覈録 |