菱妻神社境内社とあったが。菱妻神社には本殿左右に境内社あるが何れが簀原神社の社殿であるかは不明であった。 同じ事が走田神社についてもいえる。菱妻神社には境内社が5社あると「全国神社祭祀祭礼総合調査」にはある。 「境外末社として、祠はないが延喜式内社走田~社、簀原~社、茨田~社がある。」とする説があり、境内か境外か不詳。 菱妻神社の氏子総代を務める植松迪夫氏の著作『鎮守の森と築山村の面影』によると、明治13年「乙訓郡社地調べ」に築山村大木ノ本に簀原神社反別拾八歩とある。 また明治初期の「地籍図」にも神社地が官地と明記されておりこの地で祭祀が継承されてきたものと思われる。 現在は祠も無く杉の古木があるだけである。 2月の年当(ねんど)(1年の始まりに御神饌を供える行事)にあたり菱妻神社の神事の後、上座・下座の司役の御膳供えと神主の祝詞を奏上される場所である。 |