石作神社
  
大歳神社 に合祀
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   【延喜式神名帳】石作神社 山城国 乙訓郡鎮座 

   【現社名】大歳神社に合祀
   【住所】京都市西京区大原野灰方町575
       北緯34度57分2秒,東経135度39分58秒        
   【祭神】石作神であろう
   【例祭】−−−
   【社格】旧郷社(大歳神社)
   【由緒】貞観元年(859)正月27日正六位上石作神を従五位下に叙した『三代実録』
       昭和17年郷社に昇格

   【関係氏族】石作氏
   【鎮座地】もとは大原野石作町早尾神社の地にあったと云う
        その後大歳神社に合祀


創建次第不詳。『三代實録』貞観元年(859)正月27日の条に、正六位上石作神を従五位下に叙した記事がみえている。
現在は旧石作村の大歳神社に合祀されているが、旧社地および合祀されるに至つた事情は不詳。
合祀先きの大歳神社においては、この祭神に対し特別の祭祀を行つていない。
石作氏の衰微により、後に大歳神社に合祀されたという。旧鎮座地は、三鈷寺近くの早尾神社(西京区大原野石作町灰谷丸尾1)とも、長峰八幡宮(西京区大原野石作町40)ともいう。


大歳神社

祭神は大歳神で養老2年2月の創建と云ふ。延喜式神名帳に記され、山城國鎭座社の内大社に列せられていた。この境内は柏の森と称し社を柏の社とも云ふ。農耕生産の神、ひいては方除祈雨にも霊験ありと知られ当地方の守護神である。相殿に石作神と豊玉姫命を祀ってある。石作神は代々石棺などを造っていた豪族の祖神であり、火明命の後裔である。垂仁天皇の后、日葉昨姫命おかくれの時、石棺を献上し、石作大連公の姓を賜った。石作連を祀った石作神社は延喜式神名帳に記され、貞観元年従五位下に昇格している。
大日本史に石作神社今灰方村大歳神社内にありと記され、石作氏衰微後、 当社に合祀さられたものである。石作神は昭和49年6月愛知県岡崎市に建立の石工団地神社に分霊す。豊玉姫命は海人であり彦火火出見命の后である。 例祭は10月21日、氏子祭は10月第三日曜に行い、江戸中期より引続き金剛流家元による奉納舞あり。
大歳神社系
  天照大神━━━素盞鳴命━┓  ┏大歳社(当社奉祀)━━向日神(向日神社奉祀)
              ┣━━┫
         大市比売━┛  ┗宇賀之御霊神(稲荷大社奉祀)

社頭掲示板



大歳神社

祭神は大歳神(おおとしのかみ)で養老2年(718年)2月の創建と云う。
 相殿に石作神と豊玉姫命を祀る。
 当社は平安時代初期(*27年)に編纂された延喜式神名帳に山城國122座中、大社52社の一つとして記される古社である。
 境内は古くは栢(かや)の森と称され、平成7年に京都市の史跡に登録される。
 また、神社は栢大明神とも称され、農耕生産の神、ひいては方除祈雨にも霊験ありと知られ当地方の守護神である。
 相殿の石作神は代々、石棺などを作る豪族の祖神で垂仁天皇の后、日葉酢媛命(ひはすひめのみこと)の石棺を献上し石作大連(おおむらじ)の姓を賜った。
 現在の本殿は昭和16年に長岡天満宮の旧本殿を拝領移築し、また神楽殿は平成25年におよそ六十年ぶりに再建されたものである。
 御例祭は毎年10月21日、氏子祭は10月第三日曜日に行われる。
      京都市

社頭掲示板



石作神社

石作は以之都久利と訓べし、和名砂、(郷名部)石作、(假名上の如し)○祭神石作連祖神歟、○在所廃亡の後、大歳神社相殿に在す、(社家説)○旧事記、(天孫本紀)建麻利尼命、石作連等祖、」姓氏録、(山城國神別)石作、火明命之後也、(國史に遊猟石作丘、諸陵式に石作陵など見えたり山城志に、在灰方村といへるは、此相殿に坐すを云るなるべし、或人の今灰谷村に小社あり、早尾明神と称す、これ石作神社かといへり、土人に問ふに、早尾社は後世の勧請にして、式内石作神社にはあらず、此神社の旧地今さだかならずと云り、
類社
尾張国中島郡、同国葉栗郡、同国丹羽郡、同國山田郡、近江國伊香郡石作神社、(各一座)
連胤、按るに、各国祭神詳ならずといへども、かならず石作連の祖神なるべく、かつ神號より地名に押移れるもあるべし、
神位
三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授山城國正六位上石作神從五位下、

神社覈録



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