初め此の山に和多都美が祭られていたが、後に鴨居瀬から勧請した住吉と合祭したと思われる。 おそらく白江山の麓に、住吉と和多都美が祭られ、中世から近世初期にかけては、これが合祀されていたものと見られる。 住吉神社の左側にある。 濃部(のぶ)村(美津島町濃部)の聖地綿打川(わたうちこう)に、当社の故地を求める説もある。 |
綿打河 2017年3月、編集作業も終盤をむかえた神社ガイドブックの原稿を見たス タッフKさんが、ぽつりとつぶやきました。 「私の家も代々、地域の神社の総代をやってるんですよ。詳しいことはわか らないけど」 話を聞いてみると、その神社は美津島町濃部(のぶ)の天神神社(番号 48)で、祭神は山幸彦。濃部には、山幸彦が隠れ住んだとされる彦守(ひこ もり)という地名があり、船でしか行けない綿打河(わたうちごう)の祠で は、毎年夏、集落の人々が神事を行っているとのことでした。 Kさんのお父さんの船で現地に連れていってもらうと、たしかに鳥居と祠 があり、近くの鼓岳(つづみだけ。別名わたつみ山)には、「神様が水を汲 みに降りてくる」という伝承があることがわかりました。 調べてみると、綿打河には遺跡(箱式石棺)があり、古くから人が生活し ていたのは間違いありません。現在の濃部は30戸ほどの小さな集落ですが、 15世紀には海上交通の拠点として200戸の大きな集落を形成していました。 高い山がなく、真水が確保しにくい浅茅湾内で、綿打河が文字通り「ワタ (=古語で海)の内の川」だとしたら、貴重な水源として神聖視されても不 思議ではありません。 対馬観光物産協会 |