和多都美神社
わだつみじんじゃ
住吉神社 境内社
所在地 社名















   【延喜式神名帳】和多都美神社 対馬島 下県郡鎮座

   【現社名】和多都美神社
   【住所】長崎県対馬市美津島町鶏知甲1281
       北緯34度16分8秒、東経129度18分55秒
   【祭神】彦波激武鵜葺不合尊、豊玉姫命、玉依姫命
       底津綿津見神、中津綿津見神、表津綿津見神『特選神名牒』

   【例祭】
   【社格】旧村社
   【由緒】貞観12年(870)3月従五位上
       明治7年村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「宗像神社」と称していた
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

初め此の山に和多都美が祭られていたが、後に鴨居瀬から勧請した住吉と合祭したと思われる。
おそらく白江山の麓に、住吉と和多都美が祭られ、中世から近世初期にかけては、これが合祀されていたものと見られる。
住吉神社の左側にある。
濃部(のぶ)村(美津島町濃部)の聖地綿打川(わたうちこう)に、当社の故地を求める説もある。


綿打河

2017年3月、編集作業も終盤をむかえた神社ガイドブックの原稿を見たス タッフKさんが、ぽつりとつぶやきました。
「私の家も代々、地域の神社の総代をやってるんですよ。詳しいことはわか らないけど」
 話を聞いてみると、その神社は美津島町濃部(のぶ)の天神神社(番号 48)で、祭神は山幸彦。濃部には、山幸彦が隠れ住んだとされる彦守(ひこ もり)という地名があり、船でしか行けない綿打河(わたうちごう)の祠で は、毎年夏、集落の人々が神事を行っているとのことでした。  Kさんのお父さんの船で現地に連れていってもらうと、たしかに鳥居と祠 があり、近くの鼓岳(つづみだけ。別名わたつみ山)には、「神様が水を汲 みに降りてくる」という伝承があることがわかりました。  調べてみると、綿打河には遺跡(箱式石棺)があり、古くから人が生活し ていたのは間違いありません。現在の濃部は30戸ほどの小さな集落ですが、 15世紀には海上交通の拠点として200戸の大きな集落を形成していました。  高い山がなく、真水が確保しにくい浅茅湾内で、綿打河が文字通り「ワタ (=古語で海)の内の川」だとしたら、貴重な水源として神聖視されても不 思議ではありません。

対馬観光物産協会



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