高御魂神社
たかみむすびじんじゃ
多久頭魂神社 境内社
所在地 社名















   【延喜式神名帳】高御魂神社(名神大) 対馬島 下県郡鎮座
          (本社)多久頭魂神社
          (旧地)高御魂神社【旧地】

   【現社名】高御魂神社
   【住所】長崎県対馬市厳原町豆酘字龍良山1250
       北緯34度7分28秒、東経129度11分20秒
   【祭神】高皇産靈尊
   【例祭】1月3日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】承和4年(837)2月從五位下
       貞観元年(859)正月27日正五位下
       貞観12年(870)3月従四位下
       明治7年6月村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとは豆酘中学校の地に鎮座
        昭和31年頃豆殴中学校の拡張で現在地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】社

もと、神田川の下流にあり、海辺に沿つた森の中に鎭つていたが、昭和31年頃豆酘中学校の拡張に際して、神社を現在の所に遷祭したもので、旧社地は全く消滅し、原景を想起することも困難な状況となつている。
この地は対馬下県直の本貫と見られる所で、この下県直が高皇産霊を祖神として祭つたものと思われる。
<うつろ船>に載つて漂着した霊石を、御神体として祭つている珍しい伝説があり、原流は海神系の神話に由来したものと思われる。


高御魂神社

高御魂神社 (旧村社大明神様)
御祭神 高皇産靈尊
由緒 橿原の朝高皇産靈尊の五世の孫津島県直建弥己々命に詔して天神地祇を祭らせ給ふ処にして神功皇后三韓に向ひ給ふ時行宮を定められ御親ら戦捷祈願し給ひし社なり、高皇産靈を祀る社は全国にも稀にして佐護の神皇産靈を主基の宮、本社を悠紀宮として上古由緒ある社にして顕宗天皇3年4月、上より神田十四町を献上せられた。神事造営は上より行はれ国主の崇敬篤き社なり。
延喜式神名帳に載る名神大、高御魂神社は是の社なり。
例祭 1月3日

社頭掲示板



高御魂神社

高御魂神社(延喜式名神大社)
多久頭魂神社(式内社名神大社)
「日本書紀」に対馬ド県直が祭る高皇産霊神に、神田を献上した記事がある。
この神は日本神話の名神で、当社の起源は悠久の古代に発する。
多久頭神社は承和4年(834)高御魂神社などと伴に従五位下を授けられ官社となった。
中世、神仏習合により「豆殴御寺」と称し、明治に現社号に復したが社殿は旧観音堂を使用している。
平成21年4月
対馬市教育委員会

社頭掲示板



高御魂神社

高御魂神社 たかみむすびじんじや
長崎県下県郡豆酘村字東神川。旧村社。高皇産霊尊を祀る。
顕宗天皇の御代に日神の神教により磐余田一四町を奉り、対馬下県直にこの神を祀らせたという。対馬下県直は高皇産霊尊の神裔であり、韓地往還の衝に当たっていたので、その祖神を顕彰させるにいたったものであろうと考えられる。承和4年(837)に従五位下、貞観12年(870)に正五位下の授位があり、延喜の制国幣の大社名神に列せられた。例祭10月18日。

神社辞典



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