阿波々神社
あわわじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】阿波々神社 遠江国 佐野郡鎮座

   【現社名】阿波々神社
   【住所】 静岡県掛川市初馬5419
       北緯34度50分25秒,東経138度4分2秒
   【祭神】阿波比売命
   【例祭】 4月10日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】天平8年(736)創始
       永正3年(1506)掛川城主朝比奈備中守が社殿修復
       元亀・天正年間武田軍の兵火にかかり焼失
       文禄3年(1594)観音堂が建立
       天保年間再び焼失
       天保13年(1842)2月仮社殿造営
       明治6年12月郷社
       同17年社殿改築

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】磐座
   【祭祀】
   【公式HP】 阿波々神社
   【社殿】本殿流造
       拝殿・社務所・手水舎

   【境内社】八重垣神社

阿波々山(現在は粟ヶ岳と称する)のほぼ山頂部にあり、周りは鬱蒼とした森林に囲まれている。
境内には磐座があり、古代社殿がなかった時代の祭祀跡も残っている。


由緒

御祭神
阿波比賣命(天津羽羽神) 天石戸別命の御子で八重事代主命の后神。御神徳は生産の神.子授.安産成就の神、また御山が駿河湾、遠州灘よりの目標の山として、古来漁師、船員に信仰された。
例祭 4月10日
社殿
本殿は木造一間社流れ造。明治17年改築、昭和62年旧社殿鎮座地より現覆殿内に移築。拝殿、覆殿は本殿移築に伴い山頂現在地に改築。(昭和61年起工、昭和62年春竣工)
境内
阿波々神社の鎮座する粟ヶ岳は掛川市の東北に位置し、標高532メ−トルの山頂にある社殿を中心とした原生林が広がった所が、だいたい当社の境内及び社有林です。境内には杉の巨木をはじめ多くの樹木が混在している貴重な森です。尚、この貴重な森は全国でも珍しい航行安全のための保安林として林野庁より指定を受けています。
由緒
当社は天平8年(西暦736年)の創建と伝えられ、延喜式内社として1,250年の昔より掛川の里々もとより、駿河、遠江地方の人々に広く崇敬され、その名ははるか京の都にもしられておりました。
古来、人々の崇敬を集めた当社は、特に今川家の家老職であった掛川城主朝比奈氏に代々厚く崇敬され、寄進された社殿は荘厳であったとされていますが、元亀、天正年間武田.徳川の遠江をめぐる攻防で兵火を蒙り、社殿は烏有に帰してしまいました。その後仮殿の造営もありましたが、神仏集合もあり、神社の整備は思うに任せなかったようです。
明治の世に移り、神仏分離令により神社と寺院がはっきり分離され、明治6年12月社格が郷社に列格し、明治17年本殿をはじめ拝殿等を改築してより、氏子崇敬者も昔のごとく広い範囲に広がっていきましたが、太平洋戦争終了後は交通の便も悪いこともあり、忘れられたようになっていました。その後の車の発達で、貴重な森と眺望のすばらしさ、桜の名所としても有名な粟ヶ岳に登る人も多くなってきましたので、昭和57年社務所を新築、昭和61年には創祀1,250年を記念して、本殿を山頂現鎮座地に移築、それに伴い拝殿.覆殿を改築する奉賛事業を進め、昭和62年春に竣工しましたので、4月9日に遷座祭を、翌4月10日例祭に合わせて遷座奉祝祭を賑賑しく斎行して、現在に至っております。今後境内の整備を進め、延喜式内社に相応しい神社に戻すべく来る平成8年に斎行予定の創祀1,260年式年大祭に向けて準備を進めております。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




阿波々神社

阿波々神社の鎮座する粟ヶ岳は掛川市の東北に位置し、標高532メートルの山頂にある社殿を中心に原生林が広がった所が、だいたい当社の境内及び社有林です。境内には杉の巨木をはじめ多くの樹木が混在している貴重な森です。尚、この貴重な森は全国でも珍しい航行安全のための保安林として林野庁より指定を受けていますし、掛川市の天然記念物の指定も受けています
交通の御案内境内粟ヶ岳からの風景新着情報平成15年4月22日更新桜の開花情報粟ヶ岳山頂周辺お問い合わせ 社務所 (0537)27-1089 メール awawa-j@sea.plala.or.jp
由 緒 当社は天平8年(西暦736年)の創建と伝えられ、延喜式内社(※1)として1,260年余りの昔より掛川の里々はもとより、駿河・遠江地方の人々に広く崇敬され、その名ははるか京の都にも知られておりました。
古来、人々の崇敬を集めた当社は、特に今川家の家老職であった掛川城主朝比奈氏に代々篤く崇敬され、寄進された社殿は荘厳であったとされていますが、元亀・天正年間武田・徳川の遠江をめぐる攻防で兵火を蒙り、社殿は烏有に帰してしまいました。
その後仮殿の造営もありましたが、神仏習合もあり、神社の整備は思うに任せなかったようです。
明治の世に移り、神仏分離令(※2)により神社と寺院がはっきり分離され、明治6年12月に社格が郷社となりましたので、明治17年には本殿を始め拝殿等も改築され、氏子・崇敬者も昔のごとく広い範囲に広がっていきました。
大東亜(太平洋)戦争終了後は交通の便も悪いこともあり、忘れられたようになっていました。
その後車の発達に伴い車道の整備が進み登りやすくなったことや、貴重な森と眺望のすばらしさ、桜の名所としても有名となったことで粟ヶ岳に登る人が多くなってきました。
昭和57年社務所を新築し、昭和61年には創祀1250年を記念して、本殿を山頂の現鎮座地に移築し、拝殿を改築する奉賛事業を進め、昭和62年3月に竣功しましたので、4月9日に遷座祭を、翌4月10日例祭に合せて遷座奉祝祭を賑賑しく斎行しました。
その後平成14年3月には社務所を社殿東側に移築・改築し現在に至っております。
今後も境内の整備を進め、延喜式内社に相応しい神社に戻すべく、来る平成18年に斎行を予定しております創祀1270年式年大祭に向けて準備を進めております。※2  神仏分離令とは仏教伝来以後、神社においてはいくつかの段階を経て神仏が習合してきましたが、明治元年にこの令により、ほとんどの神社と寺院は明確に分けられるようになりました
※1  延喜式内社とは、平安時代の延喜年間(10世紀前半)に著わされた延喜式神名帳に載せられている古い格式高い神社のことです

公式HP



阿波々神社

磐座
この巨石群には磐座と呼ばれ古代祭記跡です。
右側の遊歩道を下に降りると巨大な岩に圧倒されます。
阿波々の森
この前に広がる森はほとんど天然のままの婆で杉・椎・赤樫などの巨木が林立する貴重な森で掛川市の天然記念物に、林野庁よりは航行安全の為の保安林に指定されています。
地獄穴
この岩の裂目が地獄穴と呼ばれていて欲望のままに無間の鐘を突いた者達が地獄に落ちたといわれる伝説の穴(割れ目)でその奥を知る人ぞ無しとされています。
また、この巨岩群は磐座と言われる神様が天上(高天原)より降臨になると考えられた神聖な場所です。岩に登ったり悪戯をした者は神罰が当たると伝承されています。

社頭掲示板



阿波々神社略記

御祭神 阿波比売命(天津羽羽神)天石戸別命の御子で八重事代主命の后神
御神徳は生産の神・子授・安産成就の神として深く信仰されています。また御山が駿河湾・遠州灘よりの見立(目標)の山として、古来漁師・船員に信仰されています。
例祭 4月10日(山頂の桜は麓より一週間ほど遅いため、ちょうど桜の満開の頃です)
社殿 本殿は木造一間社流れ造 明治17年改築、昭和62年旧社殿鎮座地より山頂現在地に移築
拝殿・覆殿は、本殿移築に伴い山頂現在地に改築(昭和61年起工昭和62年春竣工)
境内 阿波々神社の鎮座する粟ヶ岳は掛川市の東北に位置し、標高632mの山頂にある社殿を中心に原生林が広がった所が、だいたい当社の境内及び社有林です。境内には杉の巨木をはじめ多くの樹木が混在している貴重な森です。尚、この貴重な森は、全国でも珍しい航行目標の保安林として林野庁より指定を受けていますし、掛川市の天然記念物の指定を受けています。
境内社 八重垣神社 御祭神は素盞鳴命・櫛稲田姫の二神(出雲神話の八岐大蛇で有名な縁結の神)をはじめ、三十神が合わせお祀りされています。
由緒 当神社は天平8年(西暦736年)の創建と伝えられ、延喜式内社として1270年余りの昔より掛川の里々はもとより、駿河遠江地方の人々に広く崇敬されております。
古来、人々の崇敬を集めた当社は、特に今川家の家老職であった掛川城主朝比奈氏に代々篤く崇敬され、寄進された社殿は荘厳であったとされていますが、元亀・天正年間(戦国末期)の武田・徳川の遠江をめぐる攻防で兵火を蒙り、社殿は烏有に帰してしまい、その後社殿等神社の整備は神仏習合もあり思うに任せなかったようです。
明治の世に移り神仏分離令により神社と寺院がはっきり分離され、明治6年(1873)12月社格が郷社となり、明治17年には本殿を始め拝殿等も改築され、氏子・崇敬者も昔のごとく広い範囲に広がっていきました。 大東亜(太平洋)戦争終了後電波塔の建設のため造られた車道は、その後の車社会の発達に伴い整備が進み登りやすくなったことや、貴重な森と眺望のすばらしさ、桜の名所としても有名となったことで粟ヶ岳に登る人が多くなってきましたので、昭和57年社務所を新築し、昭和61年には創祀1250年記念の奉賛事業として、本殿を山頂の現鎮座地に移築し、拝殿・覆殿等を改築する奉賛事業を進め、昭和62年3月末に竣工致しました。
この年の例祭は、4月9日に遷座祭を、翌4月10日例祭並びに遷座奉祝祭を賑賑しく斎行しました。 その後、平成14年の3月には社務所を社殿東隣に移築・改築し、平成18年には御鎮座1270年記念の奉祝事業式年大祭を斎行し現在に至っております。
今後も境内の整備を進め、延喜式内社に相応しい神社に戻すべく、来る平成28年に斎行を予定しております創祀1280年式年大祭に向け準備を進めております。
※1 延喜式内社とは、平安時代の延喜年間(十世紀前半)に著された延喜式神明帳に載せられている古い格式高い神社のことです。
※2 仏教渡来以後神社においてはいくつかの段階を経て神仏が習合していきましたが、明治元年に神仏分離令により、ほとんどの神社と寺院は、明確に分けられるようになりました。
※3 遷座祭とは神様の鎮座する本殿を新しく造営した時などに、新しい本殿に神様がお遷りになる重要なお祭のことです。
※2 無間の井戸遠州七不思議で有名な無間の鐘を埋めたという伝説の井戸
※4 磐座 社殿前の巨岩は、古代に於て神宿る岩として祀られた磐座といわれるもので、岩の割れ目が底なしの地獄穴ともいわれている

由緒書



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