富士浅間宮
ふじせんげんぐう 所在地 社名















   【延喜式神名帳】郡辺神社 遠江国 山名郡鎮座
   【延喜式神名帳】山名神社 遠江国 山名郡鎮座

   【現社名】富士浅間宮
   【住所】静岡県袋井市国本964
       北緯34度46分1秒,東経137度57分1秒
   【祭神】木花開耶姫命
   【例祭】10月第2日曜日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】大同年間(806−10)坂上田村麻呂が勧請
       建武2年(1335)足利尊氏この地を富士山本宮浅間神社(富士宮市)に寄進
       応永7年(1400)今川泰範寄進
       元亀3年頃戦乱の兵火
       天正18年(1590)に社殿を造営
       寛永15年(1638)再建
       慶安2年(1649)十六・九石の朱印地
       明治12年郷社
       同40年神饌幣帛料供進社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「富士浅間宮」と称していた
   【社殿】本殿流造桧皮葺
       桃山時代の建築物で国の重要文化財
       幣殿・拝殿

   【境内社】原川浅間宮・冨士神社・神明神社・斎宮司社・八王子社
        秋葉神社・天白社・稲荷社・谷田宮社


原谷川の西岸で南に水田地帯を見下す原川山という丘陵に鎮座する。
東名高速の北に接している。
『式内社調査報告』は山名神社を「もし山名神社の位置を推定するならば、山名は山無ではなく山の名そのものを示すといふことであるから、小笠山山麓か宇刈丘陵のどこか(たとへば最近発見された官衙跡ではないかと言はれてゐる「坂尻遺跡」の北方にる富士浅聞神社などが考へられる)に求めるのがよいのではなからうか。そこは山名郡の中心的な所で山名郷に属してゐたと思はれるからである。」としている。


由緒

人皇50代稲武天皇の大同2年坂上田村麿将軍東夷征伐のおり浅間大神も神力に依り賊を征服され給いし、其の神恩に報い奉らむと富士の大神を此に迎へられ、社殿を作り創祀された。
元亀3年頃戦乱の兵火に罹り社中の健造物悉く灰燼に帰し以来社頭の再建始まり天正18年2月より御本殿再建天正18年7月9日竣功地頭本間源三郎重兼建立の棟札あり。
以後寛永15年3月久野丹波守宗能再建。安永4年12月、文政12年5月再建、都合四枚の棟札及び本殿壱宇国重要文化財、寛永4年6月原川城主北條出羽守氏良鐘搗堂壱宇奉納。
慶安2年より万延元年迄の間社領十六石九斗を下付さる。明治4年当国菅ヶ谷村久野彦ェ門宗春楼門一宇再建。明治12年7月郷社に列し、明治40年国宝となる。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




重要文化財

富士浅間宮本殿
奥の建物が神社本殿です。約400年前、桃山時代に建てられました。
横へ回つて、透塀ごしに横から御覧ください。
屋根は檜皮で葺かれ、前面が長く延びた流造と呼ばれるものです。
クス材を白木で用い、いかにも神社らしい優美でおごそかな姿です。
棟札によれば天正18(1590)年建立
間口、奥行とも4.1m
重要文化財指定 昭和25年8月29日
説明板設置 平成6年3月29日
静岡県教育委員会
袋井市教育委員会

社頭掲示板



楼門礎石

享保元申年、約二六〇年前、此の地方に大風が吹き楼門及一之鳥居が倒漬したので約五十年後の明和4年当國周智郡管谷村久野彦右衛門宗春が崇敬していた当社楼門一宇を寄附された随神が安置されて立派であつたが安政元年の大震災にかかり倒潰してしまつた当神社の古文書によると奥行三間間口四間程の規模に桧白木作りの茅葺であつたと記されている。今は只楼門の礎石を残して往時をしのぶのみ。

社頭掲示板



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