小国神社
おくにじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】小国神社 遠江国 周知郡鎮座
          (奥宮)奥磐戸神社

   【現社名】小国神社
   【住所】静岡県周智郡森町一宮3956番地の1
       北緯34度50分51秒,東経137度53分57秒
   【祭神】大己貴命
   【例祭】4月18日 例祭
   【社格】国幣小社 一宮
   【由緒】欽明天皇16年(555)2月18日本宮山に創祀
       大宝元年(701)一二段の舞樂が授けられた
       延喜7年社殿改造
       承和7年(840)6月14日従五位下『続日本後記』
       貞観2年(860)正月17日従四位下『三代実録』
       同16年2月23日従四位上『三代実録』
       永保2年(1082)10月17日清原則房神主職に任命
       仁安3年(1168)9月18日銅製経筒を本殿背後の経塚に埋める
       永萬元年(1165)神祇官八丈絹五疋を進上
       元亀3年(1572)武田信玄侵入に際し小国神社神主は徳川に味方
       天正3年(1575)徳川家康社殿再建
       同11年遷宮
       慶長8年(1603)五九〇石の社領寄進
       元禄10年(1697)再建遷宮
       寛保2年(1742)造営
       明治5年県社
       明治6年国幣小社

   【関係氏族】
   【鎮座地】欽明天皇16年(555)2月18日本宮山に創祀
        のちに現在地に移

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「一宮神社」と称していた
   【公式HP】 小国神社
   【社殿】本殿大社造桧皮葺
       拝殿・舞殿・樂舎・神徳殿・社務所

   【境内社】奥磐戸神社・並宮・八王子社・宗像社・飯王子社
        塩井神社・瀧宮・愛宕社・白山社・全國一宮等合殿社・鉾執社

   【境内図】 境内図

遠江国一宮。小国神社と称するのは出雲の大国に対する美称とされる。
欽明天皇18に本宮山に神霊が出現して鎮斎したのが創始とされる。


由緒

御由緒の概略
鎮座地静岡県周智郡森町一宮3、956番地の1
御祭神大己貴命
御神徳須佐之男命の御子にして父神の命により豊葦原の国を開発し稲穂の稔る瑞穂の国に造り上げ天孫に国土を奉つた大功を称へて大国主命とも国作之大神とも大穴牟遅神と称へ又農業山林鉱業縁結び医薬禁圧の法を授け給ふ徳を称へて大物主神とも宇都志国玉神とも大国玉神と称へ又艱難辛苦の修養を積まれ統治者となられ国中の悪神を平定せられた質実剛健と勇気を称へ葦原醜男命とも八千矛命と申し尊貴を称へて大己貴命と申す等国土開発福徳縁結び山林農業医薬知徳剛健等の守護神と敬はれ御神徳極めて高い
本社を小國神社と申すのは出雲の大本宮に対する遠江国地方の美称であつて当社は古来より許当麻知神社(願い事を待つ意)とも事任神社(願い事のままに叶う意)とも固有の別名がある
御由来創祀は神代と伝へられ上代のことは詳でないが社記によれば人皇第29代欽明天皇の御代18年2月18日本宮山に御神霊が出現せられ奇瑞あり天聴に達し勅使を差遣せられ社殿を造営し正一位の神階を授けらる第60代醍醐天皇の延喜7年に勅して社殿を改造せられ延喜式内社に列す承和7年及貞観2年16年従四位の神階を奉る第96代後醍醐天皇の元弘建武変乱以来勅使が廃れ神主代りて其の式を行い戦乱相次ぐ室町時代に至も神事祭礼欠くる事無く朝野の崇敬極めて篤く遠江国一宮と称へられる。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




全国一宮等合殿社

創建由来 延宝8年の社記・諸古文書の社頭配置図に依ると全国一宮等御祭神七十三柱が境内社として各所に祀られていたが明治の初めに本社焼失時又は腐朽等により明治15年より境内末社八王子社に仮合祀されたものを平成元年12月氏子崇敬者の守護神として復興鎮祭する。
例祭日 4月5日

社頭掲示板



事待池

本社に詣で願掛けをして心願成就すれば池に鯉を放つので「ことまち池」という 又池の水を汲み「いぼ」に付けると「いぼ」がとれるというので「いぼとり池」ともいう

社頭掲示板



ひょうの木(縁結びの木)

毎年不思議にも此の木の葉に「まゆ型」の穴のある「から」ができ風が吹くと「ひょう」という音を出すので「ひょうの木」という。
 又、当社御祭神大己貴命が「ひょうの笛」にて女神を呼び、その心のこもった調子に女神が感銘して契りを交わしたと伝えら「縁結びの木」とも云われている。

社頭掲示板



遠江國一宮小國神社略記

御由緒の概略
鎮座地 静岡県周智郡森町一宮3956番地
御祭神 大己貴命
御神徳 須佐之男命の御子にして父神の命により豊葦原の国を開発し稲穂の稔る瑞穂の国に造り上げ天孫に国土を奉つた大功を称へて大国主命とも国作之大神とも大穴牟遅神と称へ又農業山林鉱業縁結び医薬禁圧の法を授け給ふ徳を称へて大物主神とも宇都志国玉神とも大国玉の神と称へ又銀難辛苦の修養を積まれ統治者となられ国中の悪神を平定せられた質実剛健と勇気を称へて葦原醜男命とも八千矛命と申し尊貴を称へて大己貴命と申す等国土開発福徳縁結び山林農業医薬知徳剛健等の守護神と敬はれ御神徳極めて高い(古事記日本書紀等)
本社を小国神社と申すのは出雲の大本宮に対する遠江国地方の美称であつて当社は古来より許当麻知神社(願い事を待つ意)とも事任神社(願事のまゝに叶う意)とも固有の別名がある
御由来 
創祀は神代と伝へられ上代の事は詳でないが社記によれば人皇第29代欽明天皇の御代18年2月18日 本宮峯(本宮山)に御神霊が出現せられ奇瑞あり天聴に達し勅使を差遺せられ社殿を造営し正一位の神階を授けらる第42代文武天皇の大宝元年春18日勅使奉幣し十二段の舞楽を奉奏せられ第60代醍醐天皇の延喜7年に勅して社殿を改造せられ(延宝8年杜記)延喜式内社に列す(延喜式)承和7年及貞観2年16年従四位の神階を奉る(続日本後記三代実録)第96代後醍醐天皇の元弘建武変乱以来勅使が廃れ神主代りて其の式を行い戦乱相次ぐ室町時代に至るも神事祭礼欠くる事なく(社記)朝野の崇敬極めて篤く遠江国一宮と称へられる
元亀3年徳川氏の目代武藤刑部ひそかに武田氏に内通し甲州兵を招き当社に叛くや神主小国豊前重勝霊夢に感じ子息を人質として徳川氏に訴へ家康公は神主に命じ神璽を別所谷(本社東谷の遺跡)に遷し願文と三条小鍛治宗近作の大刀を奉り戦捷を祈願し社頭に火を放ち勝を得て天正3年に本多重次に命じ社殿を建立し更に天下平定の報賽として同11年12月7日社殿全部を造営遷宮せしめ其の後元録10年綱吉将軍横須賀城主西尾隠岐守に命じ悉く改造し寛保元年吉宗将軍より四百両の修復料を寄進せられ明治6年国幣小社に列せられ終戦後は昔ながらに遠江国一宮として崇敬せられ現今に至る(社記及武藤氏考)
祭日
◎田遊祭 1月3日 創始は鎌倉時代と言はれ十二段行事あり五穀豊穣家畜安全の祈願祭が行はれる
◎手釿始祭 1月11日 古式により墨打手斧式等を行い併せて土木建築の安全祈願祭を行い地鎮め其の他の方除け御霊砂を授与する
◎御弓始祭 1月17日 社前に於て古儀の破魔弓式あり使用せし弓矢は魔除けとして参拝者持帰りて家に祀る
◎初甲子祭 毎年初甲子の日 大国主命の御縁日として此の日は特に福徳縁結びの御霊徳あらたかで願事のまゝに叶うと伝へられ本殿巡りの甲子神事が行はれ参拝者で賑う
◎節分祭 2月節分の日 当社には古来より追儺の古式による鬼追い宝槌振りの神事が行はれ此れに年男百余名奉仕して豆撒式が行はれ開運厄除祭が行はれる
◎御例祭 4月17日・18日 御神霊が本宮山に御出現の日又は勅使参向し十二段舞楽を奉奏した由緒深き日で毎年神幸祭及び舞楽あり参拝者多く遠江国一宮祭りとして名高い因みに十二段の舞楽は国より重要無形文化財に指定せられている
◎酒造祭 10月24日 神前に毎朝供へる濁酒造り始めの祭典で醸造家も参列し酒造安全祈願祭が行はれる
宝物 徳川家康奉納の宗近銘の大刀二口外大身槍一振等古鏡経筒遠州報国隊連判状感状等数十点あり
摂末社
◎並宮 御祭神は熊野三神と伝へられ祭日式等本社と並び行はれしが明治15年炎上後は八王子社に祀られて来たが明治百年を記念し(昭和43年)旧社地に再建される
◎塩井神社 4月15日が祭日で一宮山伏間にあり古来より社の側より塩水の霊水湧出し諸病平癒特に胃腸病に霊験ありといはれ参拝者の絶え間がない
◎其の他摂末社 七十社あつたのを炎上後は本社及び八王子社に仮合祀してある天宮神社大洞院蓮華寺蓮増院等当社の縁故により創始せられたとも伝へられている
社領境内地及社殿 中古以来社領は一宮以外の、上の郷、下の郷、薗田郷、太田郷、天宮郷の五ケ郷三百六十町を領し徳川氏に至り五百九十石の朱印を賜る外東西一里南北一里半の境内をも領有し(社記及諸社寺御朱印御条目枢要摘書)明治4年上地後は一部を一宮村に払い下げられたが社殿近接地の払い下げを受け現境内は三十万坪に及ぶ
本社の位置は遠江一宮駅の北約4Kmの県道と遠江森駅より山越しで約3Kmの観光道路を結ぶ地点にあり明治15年の再度の大火にあい明治19年国費を以つて建立し当時の規模の三分の一に縮少され本殿の高さは四丈三尺余あり其他の社殿等建造物の建坪参百参拾四坪余を有し境内一帯には丈余の神代杉欝蒼として繁り勅使参道跡今も現存し宮川の清流と風声相和し全境内清寂の極致を感ずる
本宮山 本社の北一里半の頂上の奥宮で1月6日を祭日とし奥磐戸神社あり荒魂を祀る遠江国の中央に位し東西南北国中を一望の下に聚め天竜川遠州灘の南景又格別である
社職 清原則房を神主に補任された(朝野群載)事見へ小国重年神主は近世国学者として名高く小国家系譜によれば清原氏は清和原氏より出で当国に住し小国神社の神主となりし事あり延宝八年の社記によれば社家三十二人舞楽神人其他社僧等小国神主の支配のもとに奉仕し各々社家の後裔今に現存する
静岡県周智郡森町一宮3956番地の1
遠江國一宮小國神社々務所

由緒書



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