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磐座は西・東・北の巨岩3つを主体として構成された大規模なものになる。特に西岩の西壁直下では、古墳時代の手づくね土器200以上・滑石製勾玉・鉄矛・鉄刀・鉄鏃など、古墳時代前期後葉から平安時代中期の祭祀遺物が検出されている[2]。また西岩・東岩の間では、続く平安時代後半以降の経塚関連遺物が検出されている。 渭伊神社は磐座祭祀の延長として創祀されたとする説がある。 |
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渭伊神社の磐座 本殿の真後ろあたりに磐座あり巨石散在し大は5m小は1m立つ岩横たわる岩さまざまな姿に群れて総数約二十の岩群を形成している。 即ち磐座とは神の依り坐す処といわれ丘上の岩群は渭伊神社の神座岩群であり古代より今日まで初めそのままの姿を残している、 磐座紀行誌より 社頭掲示板 |
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天白磐座遺跡 県指定史跡 (平成4年3月17日) 「延喜式」にその名を載せる渭伊神社本殿の背後にある薬師山の頂上に位置し、約40m四方にわたって群在する巨石群を神の依代〔磐座〕とした我国屈指の規模をもつ古代祭祀遺跡です。 平成元年(1987)夏に実施された発掘調査により四世紀後葉〔古墳時代前期〕から平安時代に至る長期問、連綿と続いた祭祀場であったことか明らかとなりました。 とくに高さ7mにおよぶ最大の磐座の西壁直下は、古墳時代の祭祀場として限定され、多量の手こね土器や鉄鉾や滑石製勾玉などの祭記に用いられた遺物が出土しました。 また、十二世紀末には末法思想による埋経のための経塚が巨岩群の中央に営まれ、渥美裂の経筒外容器が和鏡と共に出土しています。 この遣跡は渭伊神社の創祀が古墳時代前期までさかのぼることを語るとともに、古代人の精神や宗教観を解明するうえに重要な文化財てす。 引佐町 社頭掲示板 |