浜名総社神明宮
はまなそうしゃしんめいぐう 所在地 社名















   【延喜式神名帳】英多神社 遠江国 浜名郡鎮座

   【現社名】浜名総社神明宮
   【住所】静岡県浜松市北区三ケ日町三ヶ日122
       北緯34度48分41秒,東経137度33分9秒
   【祭神】天照皇大御神
   【例祭】8月第1日曜日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創祀年代不詳
       明治6年郷社

   【関係氏族】浜名県主
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「神明社」と称していた
   【社殿】本殿神倉板校倉造
       拝殿・社務所

   【境内社】棚機姫神社・天羽槌雄神社・須佐之男神社

三ヶ日西小学校北に鎮座する。
上古浜名地域(旧三ケ日町、旧東西浜名村の地域)の首長であつた浜名県主(はまたあがたぬし)の祖神を祀つたものと想われる。
祭神が天照大神に交替したのは平安中期天慶3年(940)の浜名神戸設置以後のことと推測される。現在浜名総社神明宮内の摂社となつている太田命社の祭神がそれまでの主神であつたと想像される。
社殿が井籠造神倉であることは浜浜神戸の貢物の保管庫であつたことを物語つており、他社に異る特殊建造物と云つて良い。
歴代祠官は上古以来断絶なく浜名県主の子孫である県氏が奉仕して來た、室町時代末期に中之郷家と加茂家の二家に分立し、加茂家神主、中之郷家禰宜として明治初まで奉仕していた。


浜名惣社神明宮

祭神 天照皇大御神
摂社 祭神
天棚機媛命
天羽槌媛命
太田命
由緒
創立年月日は詳かではないが口碑によると垂仁天皇の皇女倭媛命が天照大神の御神勅によって三種の神器を奉じて大和の国より伊賀・伊勢・美濃・尾張の地を経て御鎮座の地を定めよとの恩召しによって太田明の御先導で御船にてこの地に行幸になられて40余日御行宮の後、更に御神託によって勢州渡会の五十鈴川の辺に移御なされた。
斯る畏い御由緒であり神倉造りとして他の神社と異なり古式の神殿で歴代の将軍・国守の尊崇の念が厚く特に豊臣・徳川両氏の代々の将軍は掟を定めて朱符の田四十二石を寄進して崇敬の意を表している。
本社は昔から服部氏が伊勢大廟に奉献する御初生衣の御清祓所とした所である。
明治5年8月2日 郷社に列す
明治40年2月11日 神饌幣帛料供進指定
例祭日 8月第一日曜日

社頭掲示板



浜名総社神明宮(式内社)

所在地 三ケ日町三ヶ日大輪山122番地
祭神 天照皇大神
摂社 天棚機媛命
   天羽槌媛命
   太田命
創始
当神社は上古三ヶ日地方を統治した浜名県主か、祖神太田命を祀ったのに創り、その後天慶3年(940)この地方が伊勢神領になるに及んで天照大神が主祭神となり太田命は従的位置になったものと推定される。
国指定重要文化財(平成5年4月20日指定)
浜名総社神明宮本殿 一棟
県指定文化財(昭和54年11月19日指定)
羽槌雄神社社殿 一棟
建築の概要
伊勢神宮や熱田神宮の元来の社殿は俗に井籠造りであったものと思われるが、この両社殿はその古式を今に伝える貴重なものである。
地上に組まれた土居の上に板を組み平入正面中央に脇柱を立てた戸口を構え腰長押、内長押を取付けて板戸を内開きにし妻梁上に束を立てて棟木を茅葺摂社は目打板の流板葺となっている。
ともに千木を延ばし勝男木をのせているが摂社は破風が延びて千木となっている。
なお本社には棟持柱がある。
三ヶ日町教育委員会

社頭掲示板



浜名総社神明宮

旧式内英多神社天照大神のほか上古当地方を統治した県氏の祖太田命及び機織の神棚機姫命等を併祀。
神殿は神倉造校倉の古い型式(俗称井籠造)。
岡本初生衣神社の御衣(おんぞ)保管庫に由来するか。
例祭前夜神秘な夜半の御餐の神事あり。

社頭掲示板



浜名総社神明宮

浜名の惣社として又浜名神戸の本拠地として崇敬されてきた。延喜式神明帳(901−922)の遠江国浜名郡、英田神社に当り式内社である。本殿は浜名神戸より伊勢神宮へ貢進品の収納庫として使われたと云われ板倉造(井籠造)という全国でも類の少ない古式の形式で国の重要文化財に指定されている。特殊神事「夜半の御饌」がある。又、特産である「三ケ日みかん」を伊勢神宮に献納する神社でもある。

静岡県神社庁



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