真名井神社
まないじんしゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】籠神社(名神大 月次/新甞) 丹後国 与謝郡鎮座
          (本社)籠神社

   【現社名】真名井神社
   【住所】京都府宮津市大垣
       北緯35度35分12秒  東経135度11分54秒
   【祭神】豊受大神
       (配祀)罔象女命 彦火火出見命 伊射奈岐命 伊射奈美命

   【例祭】10月 15日 例祭
   【社格】
   【由緒】当初この地に鎮座
       養老3年(719)奥宮眞名井神社の地から現地へ遷

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初この地に鎮座
        養老3年(719)奥宮眞名井神社の地から現地へ遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【公式HP】 篭神社
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

本殿背後に岩座があり「天御中主」と「天照大神」の石柱が立てられている。


真名井神社

奥宮境外摂社真名井神社(古称 匏宮・吉佐宮・与謝宮・久志浜宮 別称豊受大神宮・比沼真名井・外宮元宮・元伊勢大元宮)
磐座主座(上宮) 豊受大神 亦名天御中主神・国常立尊、その御顕現の神を倉稲魂命(稲荷大神)と申す。天御中主神は宇宙根源の大元霊神であり、五穀農耕の祖神であり、開運厄除・衣食住守護・諸業繁栄を司どられ・水の徳顕著で生命を守られる。相殿に、岡象女命、彦火火出見尊、神代五代神を祭る。
磐座西座 天照大神 伊射奈岐大神 伊射奈美大神 この磐座は日之小宮と申し、主神は天照大神であらせられる。奈岐・奈美二神は大八州(日本)の国生みの伝で有名であらせられる。当社奥宮境内真名丼原に降臨せられ、天橋立(天地通行の梯)をお造りなされた大神で、夫婦和合、家内安全、授子安産、延命長寿、縁結びの御徳が著名であらせられる。

篭神社由緒書抜粋



真名井神社

由緒
天橋立北浜にある真名井原に鎮座する真名井神社(まないじんじゃ)は元伊勢籠神社の奥宮であり、古代には「匏宮(よさのみや)・吉佐宮(よさのみや)」と呼ばれていました。 匏宮は天照大神の孫神であり、海部家の始祖でもある彦火明命が創祀した「宮」で、丹後の最高神である「豊受大神」をお祀りしていました。 その御縁故により、第十代崇神天皇三十九年に皇女豊鋤入姫命が御杖代となって「天照大神」を倭国笠縫邑から当地の真名井原にお遷しになり、豊受大神と天照大神を並び併せて「吉佐宮(よさのみや)」と称して四年間お祀り申し上げました。つまり「吉佐宮」とは、神代から豊受大神をお祀りしていた「宮」或いは、崇神天皇の御代に真名井原において豊受大神と天照大神を一緒に四年間お祀りした「宮」のことを云います。天照大神は最終的には垂仁天皇26年9月に皇女倭姫命が伊勢の地にお鎮め申し上げました。
その後おおよそ四百八十年経った第二十一代雄略天皇21年に倭姫命の御夢に天照大神がお現れになり、「皇大神(天照大神)、吾、天之少宮に坐しし如く、天の下にしても一所に坐さずは御饌も安く聞こし食さず、丹波国の與佐(よさ)の小見の比沼の魚井原(まないはら)に坐す道主(丹波道主)の子、八乎止女(やおとめ)の斎奉る御饌津神(食事を司る神)、止由居太神(豊受大神)を我が坐す国へ坐さしめむと欲す」とお告げになりました。それによって豊受大神は雄略天皇22年7月7日に天橋立北側にある真名井原から伊勢の地にお遷りになりました。両大神が伊勢にお遷りになった後、飛鳥時代に「宮名」を「吉佐宮」から「籠宮(このみや)」と改め、奈良時代に奥宮の地から現在籠神社が鎮座する場所に遷宮いたしました。遷宮した後の「吉佐宮」においても祭祀は続けられ、「真名井神社」と呼ばれるようになりました。
創祀・創祀者・祭祀
真名井神社の地における祭祀の始まりは大変古く、少なくとも弥生時代まで遡ることが出来ます。真名井神社の裏には古代の祭祀形態である磐座(いわくら)が鎮座し、その磐座(神が宿る石)で神祀りが行われていました。神を祀る常設の社殿(神社)という形態ができたのは仏教伝来以降とされています。それまで古代人は高い木や岩石、島や川などに神々が籠もると考え、それらを崇拝対象として神祀りを行っていたのです。真名井神社の地では神代の昔から石や磐に神が籠もっていると信じられ、磐座で神祀りが行われてきました。真名井神社境内地からはすでに縄文時代から人々が住んでいた証である縄文時代の石斧や掻器などが出土し、また弥生時代のミニチュア祭祀土器破片や勾玉が出土しています。そのため真名井原一帯は縄文時代から人間が生活を営み、神々をお祀りしていた神聖な地と考えられます。
真名井原では海部家の始祖彦火明命(天火明命)が豊受大神を創祀し、二代目の天香語山命が磐境(いわさか)を起こし、「匏宮(よさのみや)」を創建し、磐座の豊受大神を主祭神として神祀りを行っていました。天香語山命は、三代目の天村雲命が高天原より真名井原に持ち下った天の真名井のご霊水をヒサゴに入れ神祀りを行っていたと伝えられています。匏宮の鎮座する山は天香語山或いは藤岡山と呼ばれています
比沼の真名井
「比沼(ひぬ)の真名井(まない)」とは、「久志備の真名井」という言葉から転化し訛ったものと伝えられています。
「久志備の真名井」とは、奥宮真名井原の地で海部家二代目の天香語山命が天と地を繋げる「天の真名井の水」を起こし通して、天(あめ)の磐境を起こし、豊受大神をお祀りしたところ、この真名井の地に泉が湧き出て「匏(ひさご)」が生えたので、三代目天村雲命がその水を匏に汲んで、その泉に遷し「神へのお供えの水」とした神秘的で不思議な故事からその水(泉)を「久志備の真名井」と云い、それが訛ったのが「比沼の真名井」であると記されています。それにはまた、「真名井」とは「宇介井」であるとも記されています。『記紀』神話によれば、天照大神と須佐之男命は神の意志を伺うために行う占いである誓約(うけい)を行い、それぞれの所持品から天照大神は活津日子根命(いくつひこねのみこと)・正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)・天津日子根命(あまつひこねのみこと)・天之菩卑能命(あめのほひのみこと)・熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)をお生みになり、また、須佐之男命は多紀理毘売命(たきりびめのみこと)・市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)・多岐都比売命(たきつひめのみこと)をお生みになりました。この神話では「神を生む行為を重視」するか或いは、「所持品を持っていた神を重視」するかによって生まれた神々が天照大神の御子神となったり、須佐之男命の御子神と考えられたりいたします。しかし、どちらにいたしましても、誓約を行い、高天原の神々が使われる「天の真名井の水」をそれぞれの神の所持品に吹きかけて、お生まれになった神々であることには間違いありません。この「天の真名井の水」が奥宮真名井神社の地に天から通じ、それを「天の真名井」「久志備の真名井」と云い、「真名井」は「誓約(うけい」の事である、と記されているのです。この地で豊受大神をお祀りしたのは海部家の始祖彦火明命ですが、その后のひとりは須佐之男命の御子神である市寸島比売命です。このように考えると、高天原における誓約(うけい)と天橋立の真名井原で行われた誓約があったと考えるのも浪漫があります。

公式HP



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