弥加宜神社
みかげじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】弥加宜神社 丹後国 加佐郡鎮座
          (旧地)藤森神社

   【現社名】弥加宜神社
   【住所】京都府舞鶴市森871-7
       北緯35度27分49秒、東経135度23分38秒
   【祭神】天御影大神 誉田別大神
   【例祭】7月14日 例祭
   【社格】旧府社
   【由緒】崇神天皇11年6月14日丹波道主命が創祀
       天正期には社領百石を有した
       慶長5年(1600)兵火で社殿焼失
       元禄13年(1700)造営
       延享4年(1747)造営
       大正11年郷社
       昭和19年府社

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初現社域南の旧行永村小字みかげ谷にあつた
        8世紀以前に現在の地に

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「大森大明神」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿・社務所・絵馬堂

   【境内社】

創祀の頃は、現社域南の旧行永村小字みかげ谷にあつたと伝えられるが、その旧社域や遷座の年代は不詳である。
邏座は8世紀以前と考えられる。
水をまつる社とし、本殿は井戸の上に建ち、境内から杜(もり)清水と呼ばれる霊水が涌き出る。
古代倉梯郷を本拠とした製鉄集団・息長氏の神まつりの場が「森」であり「行永」は息長に由来すると考えられてきている。


由緒

参拝のしおり
当社の御祭神は天御影命亦の御名は大日一箇命にして創立年代は崇神天皇の御宇11年丹波道主之命の御祭給う所として延喜式内の御社也。
当社の例祭日は往昔より大陰暦6月14日なりしに、明治の御代に至り7月14日に改む此の例祭日は御鎮坐の祭日ならんかと推察す。丹後風土記に曰く、杜に坐す彌加宜社文に曰く、彌加宜社は往昔丹波道主之命の御祭給う所也、杜の中に霊水あり、世に杜清水と称す、此の杜清水は1200年前の丹後風土記に記載せる太古と変わらず混々と湧出して、其名最も高く貴重なる御霊泉也。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



弥加宜神社

由緒
当社の御霊水は丹後風土記に「弥加宜社は往昔、丹波道主命の祭り給う所にして社中に霊水有り世に杜清水と号す」と記載されており一般に称せられております杜清水の中心であります。
往昔より延齢泉とも称し(延享4年本社再建記に記載)長命を授かる御霊水として尊ばれております。尚崇神天皇の御代(今から2000有余年前)に四道将軍の一将丹波道主命が当社御際神天御影大神をこの霊水の上に鎮座された当社由来について、木造建築である我が国神社建築様式としては水神以外には殆どその例無く神社としては異例中の異例であり格別の由来がある事と思いますが遺憾ながら詳細は不明であります。

社頭掲示板



弥加宜神社

森鎮座 郷社
 當社は遠く人皇第十代崇神天皇10年(2021年前)丹波道主命によってその祖父神、武威広大なりし御影神を祖られしに創る。延喜式(2027年前)に「杜坐弥伽宣社在神祇官」とあり。初め現時の行永小字弥伽宣谷に奉祀せられしが、聚落の移動交通の発達に倶ひ再遷三遷遂に現神域に奉祀せられたりとの説あれども其年代更に謙ならず、果して然りとすれば、土地の沿革聚落の発達交通系統等より考へて蓋永禄(370年)以後の事か丹後風土記(1220前の物)加佐郡残欠と称する文献に曰く。
 「弥伽宣社は往古丹波道義の王の祭り給ふ所也(以下虫喰)社中に霊水あり世に杜清水と號す(以下虫喰)」
と。今の社殿は慶長年間(凡320年)領主細川藤孝の崇敬厚く土豪高橋氏の協力によって造営し、延享年間(凡185年前)大に修理を加へたるが如し。当事の社領百石摂社二十一を有し、社地の南方遠く馬場参道等を控へたりしが如く、地方住民崇敬の中心たりしは明なり。慶長5年(322年前)小野木縫殿介の変に當時の神官出雲守は神霊を奉じて若狭に難を避けたり、依て京師吉田司家の指図により臨時に八幡宮を奉祀せりとの記録あり、社殿の左右に森八幡宮神前と刻せる石燈籠あるはその爲か。細川忠興の寄進せりと傳へる大鳥居は神域を飾りしも遂に朽ちて大正11年別に築造せしは惜しむべし。昭和6年新たに社誘所を営造して社府昇格の機運熟せんとせり。境内千七百五十七坪。

倉梯村史



弥加宜神社

【ご由緒】  彌伽宜神社は通称大森神社と呼ばれ古来近郷によく知られたお宮でありまして、其の御祭神は天御影命(アメノミカゲノミコト)亦の名は天目一箇命(アメノマヒトツノミコト)と申し神代において刀、斧等諸道具を造り始められた産業の始祖で、皇孫命に仕えて天孫降臨になった三十二神の内の一神にして、創立年代は今から二千六十余年前即ち人皇十代崇神天皇の御宇十一年丹波道主之命の御親祭のなった延喜式内の御社です。
 社中及び境内二ヶ所にある神泉は有名で、丹後風土記に曰く「杜座弥加宜社文に曰く、弥加宜社は往昔丹波道主之命の御祭給所也 杜中に霊水あり世に杜清水と号す」此の杜清水は、千二百年前の丹後風土記に記載されており亦「延齢泉」とも申されます。
其の社中のものは三尺に四尺の方形で、それが神殿の中心となっているのであります。
●相殿は誉田別尊でありまして、境内神社は参拝順に挙げますと
一、須佐見神社…素戔嗚命 大己貴命
二、水神社…美津波能賣命
三、若宮稲荷神社…保食命
四、森光稲荷神社…大宮網賣命
五、縁結神社…大国主命
六、三安神社…天照大神
七、鹿島神社…武甕槌命
八、八代神社…天照大神之御子 五男三女神
 以上八社であります。
★境内は、京都府文化財環境保全地区(平成3年)
★本殿は、京都府登録文化財(平成3年)

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