もとは近くの俵岩の山に鎮座していたが、天文9年(1540)8月の大洪水によつて山が崩れ、その地での再建が不能となり、同12年(1543)8月、現在の地、字大宮に遷つた。 |
由緒 創立は不詳であるが、貞勧2年勧請と伝え延喜式内小社に列し、射添庄の一宮であった。旧称を来庫大明神と称した。江戸時代山名藩主の崇敬も篤かった。明治6年村社に列し昭和21年宗教法人届出をなし、今日に至る。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
伊曽布神社 祭神 保食命 米庫大明神と称す。農耕の神 創設不詳なれど延喜式に載せられ伊曾布県の総社にして十三代の県主の守護を受く、もと俵石に鎮座す、天文9年(1540)大洪水あり山崩れの為流失す、仮に松上社に祀り同12年(1543)現在地に移し再建す。 寛文3年(1663)改築、庄屋川瀬叟右衛門重政、寛政5年(1793)改築、庄屋川瀬政右エ門重秋、明治8年(1875)外側改築、区長川瀬喜右エ門、昭和40年(1965)区長岡本隆徳外側改築 社頭掲示板 |
伊曽布神社 ずっと昔、農耕の神、保食の命(うけもちのみこと)は、農業技術を広めるため、味取の里に立ち寄られ、指導をされたそうです。時は流れ、五穀豊穣となり、村人の顔は晴れやかなものだったと伝わります。やがて、村人は命(みこと)を「米庫大明神」として、俵石の地に祀りました。後世に伝わり続け、いまも「伊曽布神社」として、村を守っています。 香美町観光案内所 |
伊曽布神社 創立は不詳であるが、貞観2年(860)勧請と伝え延喜式内小社に列し、射添庄の一宮であった。 旧称を来庫大明神と称した。江戸時代山名藩主の崇敬も篤かった。 明治6年(1873)村社に列し昭和21年(1946)宗教法人届出をなし、今日に至る。 兵庫県神社庁 |