出石神社
いずしじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】伊豆志坐神社 八座(並名神大) 但馬国 出石郡鎮座

   【現社名】出石神社
   【住所】兵庫県豊岡市出石町宮内99
       北緯35度28分55秒、東経134度52分13秒
   【祭神】出石八前大神 天日槍命
   【例祭】10月20日 例祭
   【社格】旧国幣中社 但馬国一宮 別表神社
   【由緒】創立年代不詳
       天平9年(737)神戸
       承和12年(845)7月従五位下『続日本紀』
       貞観10年(868)12月從五位上
       貞観16年3月正五位上『三代実録』
       弘安8年(1285)『但馬国大田文』に社勢は隆盛
       永正元年(1504)兵火で社殿はすベて灰燼
       大永4年(1524)再建
       天正8年(1580)秀吉の但馬征服で神領没収
       安永3年(1774)造営
       明治4年5月国幣中社
       明治43年4月8日焼失
       大正3年造営
       大正14年北但大地震で破損
       昭和2年丹後大地震で社殿破損

   【関係氏族】
   【鎮座地】古より現在地に鎮座

   【祭祀対象】天日槍が将来した八種の神宝
   【祭祀】「出石大神宮・出石大社・一宮大明神・一宮出石大明神社」と称していた
   【社殿】本殿流造檜皮葺
       幣殿・祝詞殿・拝殿・神饌所・社務所・神門

   【境内社】比売神社・稻荷神社・市杵島比売神社・菅原神社
   【神宮寺】東光院総持寺

境内の東北隅には約300坪ほどの禁足地がある。古代より草木の刈り取りは禁止され、誰も足を踏み入れたことがない。天日槍の墓もしくは祭祀の場であったとされている。禁足地の位置から、かつて神社は西向きに建てられていたと考えられている。
祭られているのは天日槍が将来した八種の神宝でこれを出石八前大神とし、天日槍命を併せ祀っている。
出石町には伊豆志坐神社を中心として、御出石神社・諸杉神社・須義神社・中島神社(現豊岡市)など、天日槍に関係した神社の多いことに注目される。このことは出石地方が天日槍一族の根処地であつたことを物語つているが、一方天日槍は出石を中心とする但馬の開拓の神であり、国土経営の神であつたと考えられている。かつて湖海であつた豊岡盆地の水を瀬戸を切り開いて北海に流して肥沃な平野にし、殖産興業をはかつたとの伝承がある。
『国司文書 但馬故事記』に「孝霊天皇40年秋9月 天諸杉命は天日槍命を出石丘に斎き祀り、且つ八種神宝を納む。」とある。出石丘とは、おそらく出石神社付近の袴狭・嶋・坪井・宮内・水上(ムナガイ)の中心にあたる出っ張った丘であろう。


由緒

神社の創立年代はあきらかではありませんが、社伝の一宮縁起には、谿羽道主命と多遅麻比那良岐と相謀って、天日槍命を祀ったと伝えておりますが、諸書によりますと奈良朝時代すでに山陰地方有数の大社であったことがうかがわれます。
但馬の国一宮として別名を一宮さんの呼び名で尊敬されており、当時泥海であった但馬を瀬戸・津居山の間の岩山を開いて濁流を日本海に流し、現在の豊沃な但馬平野を現出され、円山川の治水に、殖産興業に功績を遺された神として尊崇を集めております。また、鉄の文化を大陸から持って来られた神ともいわれております。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



出石神社

国土開発の祖神
但馬の国一ノ宮
出石神社由緒略記
鎮座地兵庫県出石郡出石町宮内
社格・社名 国幣中社出石神社(明治4年)
  伊豆志坐神社 八座(延喜式)
  出石大社(但馬国太田文)
  出石大神宮(出石神社所蔵古銅印)
祭神 出石神杜祭神は、天日槍命の持ってこられた八種の神宝を八前の大神として、天日槍命の大御霊を斎祀しております。
天日槍命は、日本書記・古事記ともに新羅国王の王子であって、日本に帰化されたとし、その事蹟は前記二書のほか古語拾遺・播磨風土記等に散見することができます。
八種の神宝は、古事記には珠二貫・振浪比礼・切浪比礼・振風比礼・切風比礼・奥津鏡・辺津鏡の八種としております。
天日槍命の子孫には、田道問守命や神功皇后があります。
由緒
神社の創立年代はあきらかではありませんが、社伝の一宮縁起には、谿羽道主命と多遅麻比那良岐と相謀って、天日槍命を祀ったと伝えておりますが、諸書によりますと奈良朝時代すでに山陰地方有数の大社であつたことがうかがわれます。
但馬の国一宮として別名を一宮(いきゅう)さんの呼び名で尊敬されており、当時泥海であった但馬を瀬戸・津居山の間の岩山を開いて濁流を日本海に流し、現在の豊沃な但馬平野を現出され、円山川の治水に、殖産興業に功績を遣された神として尊崇を集めております。
また、鉄の文化を大陸から持って来られた神ともいわれています。 社殿 
現在の社殿は大正3年に再建され、本殿は三間社流れ造りで南面し、千木・堅魚木を備え、前面に切妻造りの幣殿と祝詞殿があなる塀も丹塗りです。
境内東北隅に約三百坪の禁足地があり、老樹がうっそうとして茂る原始林があり、入れば崇りがあるといわれております。
特殊神事
立春祭
立春の日に神馬藻を奉献する習慣があります。
職まわし
毎年5月5日氏子の少年たちによって行われ、天日槍命が瀬戸を切り開いて引揚げる道中姿を偲ぶ催しです。
御年花祭
11月23日太古の発火法で浄火を求め、径十糎程の薄い円餅をつくり、新嘗祭の日に供え、参拝者にまき与えます。
この御年花は種々の霊験があるといわれております。
身舎の屋根と独立した平唐破風出桁の向拝は他に類のない珍らしい建築です。
神門は丹塗の八脚門で細間物に数多くの蟇股を飾り、左右に連り、その左右から透塀が本殿を囲んでおります。

由緒書



出石神社

但馬は古代日本において他に類を見ない特徴的な祭祀伝承を有しております。その中心が出石神社であります。御祭神は新羅の国の王子天日槍命と伊豆志八前大神(八種の神宝)でございます。命は日本に渡来後、泥水が充満する当時の但馬の有り様を御覧になって、円山川河口の岩石を切り開くことによって泥水を日本海へと流し、現在の肥沃な平野となった伝説があります。又鉄の文化を大陸から伝えられ国土開発の祖神として、関係業界から崇敬を受けております。神社の西方700mに鳥居という地名があります。昭和8年河川の改修で土中から鳥居の両柱の木口とその下から開元通宝などの古銭が多く出土しました。平安時代すでに、国内の第一の霊社といわれた往時の様子を伝えるものです。尚日槍の子孫として多遅間守命、仲哀天皇の神功皇后がおられます。

社頭掲示板



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