式内桐原神社の跡地は現在法宝寺跡となっている。中世ここにあった法宝寺城の主郭の地がほぼ神社跡とおもわれる。 法宝寺は天平21年(748)僧行基によって建立されたといわれる。 |
室尾地区の文化財 室尾地区は、天平21年(748)僧行基によつて法宝寺が建立されるなど、古くから開けた場所です。寛平年間(889)には、京都の石清水八幡宮の別宮として、法宝寺の隣接地に八幡宮(室尾別宮)も勧請されました。七宝寺(高生田)、正眼寺(岡田)とともに三職として祭事をつかさどり、盛時には15坊を擁し、寺領は、朝来郡、養父郡、出石郡にまたがる100町歩千石に及んだといわれています。 戦国時代までの室尾は、出石と京都を結ぶ大きな街道筋に位置する交通の要衝でした。このため多数の城郭遺構等が残されています。しかしながら江戸時代になると。街道が円山川沿いに開設され、室尾はだんだん衰えていくようになりました。 明治に入ってからは、明治22年に養父郡糸井村室尾となり、この糸井村が昭和30年に養父郡南但町、昭和31年朝来郡和田山町に、さらに平成17年に朝来市になりました。人々の生活が変化する中で、大正4年に八幡神社はふもとの岡田に移され昭和9年には、法宝寺も岡田に移転しました。昭和30年代から各戸が、次々とふもとに移転を始めるようになり、昭和44年には桐原神社もおろされ、室尾築の山中から人家はすべて移転しました。 現在、この付近に住む人はいませんが、法宝寺跡をはじめとした遺構によりかつての街道筋のにぎわいがしのばれます。 社頭掲示板 |