矢作連が、その祖神・経津主命を祀った古社に後、八幡宮を勧請したという。 当時は現在地の東4Kmほどの場所の山中にあった。 中世本地垂迹説の普及とともに、一山に十三坊が営まれて、当社は鎮守と称され、祭祀はいわゆる三職(法宝寺・正眼寺・七宝寺)が司つた(但馬考)。 明治6年の郡境確定を機に、氏子である室尾村と東河村岡田の間に境内をめぐつて権利争いが生じた。結局、桐原神社祭神分を室尾に、八幡社祭分を、岡田に分祀することにしたが、当時わずか八戸の室尾は既存の社殿を維持することが困難であつたので、それを岡田に譲り、大正3年10月、社地を改めて新たに社殿を建てた。 |
法宝寺 法宝寺は天平20年(748) 行基が開基し、弘法大師が巡錫し本尊薬師如来を開眼した。室尾別宮(石清水八幡宮の別宮)の神宮寺として隆盛した。 かって、法宝寺は室尾山中腹にあり、何度かの災難に遭い、再建を繰り返した。昭和11年室尾山の南山麓に移った。 室尾山(630m)の中腹に法宝寺跡があり、現在は”万葉の森”の自然学校になっている。 |
桐原神社 元々は桐原神社と称され、経津主命を祀っていたが、大同3年(908)京都の石清水八幡宮から八幡神を勧請し合祀した。 明治6年(1873)10月、村社に列せられ、当時は現在地より約4km東に鎮座されていた。 大正3年(1914)、現在の地に遷座された。 兵庫県神社庁 |