粟鹿神社
あわがじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】粟鹿神社(名神大) 但馬国 朝来郡鎮座

   【現社名】粟鹿神社
   【住所】兵庫県朝来市山東町粟鹿2152
       北緯35度18分2秒、東経134度54分18秒
   【祭神】彦火火出見尊
       日子坐王を祭神とする説もある

   【例祭】10月17日 例祭
   【社格】旧県社 但馬国一の宮
   【由緒】天平9年(737)神戸の記載『但馬国正税帳』
       大同元年(806)神封二戸
       承和12年(845)7月従五位下
       貞観10年(868)12月正五位下
       貞観16年(874)正五位上
       建保元年(1213)粟鹿社法養院真福寺建立
       応仁(1467−69)の兵火にあって社殿・旧器ことごとく焼失
       文明17・8年(1485−6)仮殿を造営
       天保10年(1839)社殿再建
       慶応2年(1866)焼失
       明治12年再建
       明治5年2月郷社
       明治12年5月県社

   【関係氏族】日下部氏
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「粟鹿神社」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿・勅使門・日の出門・遷殿・社務所兼籠堂

   【境内社】嚴島神社・稻荷神社・猿田彦神社・茗荷神社・床浦神社

粟鹿とは、鹿が粟を三束くわえて山(粟鹿山)から現れ、人々に農耕を教えたことからつけられ、粟鹿神社にその鹿が祀られていると言う。
和銅元年8月の『粟鹿大明神元記』によると粟鹿神社の祭主は、古代に神部氏が務め、その後、日下部宿禰が務めるようになった。
社伝によれば祭神は三社九神と称し、上中下の三社に分かれ、上社に彦火々出見命ほか二神、中社に竜神(女体神也)ほか二神、下社に豊玉姫神ほか二神を祀るともいわれる。


粟鹿神社

人皇第10代崇神天皇の御宇皇威未だ及ばざる地方に皇族四道将軍を派遣し大八洲を平定して大和朝廷の基礎を確立したもう。
即ち人皇第九代開化天皇第三皇子日子坐王その四道将軍として崇神天皇の勅を受け山陰北陸の要衝丹波道■に任ぜられ玖賀耳三笠等の豪族を討伐し丹波道一円を征定治績を挙げ大いに皇威を振作して天皇の論旨に答う。
粟鹿山麓の粟鹿の郷は王の薨去終焉の地にして、粟鹿神社裏二重湟現存の本殿後方の円墳は王埋処の史跡とす。

社頭掲示板



粟鹿神社

和銅元年(708)に祭神や歴代祭主などを詳細に記した粟鹿大明神元記の写本が残る(宮内庁所蔵)
 当社は但馬国最古の社として国土開発の神と称す。国内はもちろん、付近の数国にわたって住民の崇敬が集まる大社であり、神徳高く延喜の制では名神大社に列せられた。
 人皇第10代崇神天皇の時、第9代開化天皇の第三皇子日子坐王が、四道将軍の一人として山陰・北陸道の要衝丹波道主に任ぜられ、丹波一円を征定して大いに皇威を振るい、天皇の綸旨にこたえた。
 粟鹿山麓粟鹿郷は、王薨去終焉の地で、粟鹿神社裏二重湟堀、現存する本殿後方の円墳は王埋処の史跡である。旧県社。

兵庫県神社庁



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