静岡浅間神社
しずおかせんげんじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】神部神社 駿河国 安倍郡鎮座

   【現社名】静岡浅間神社
   【住所】静岡県静岡市葵区宮ヶ崎町 102-1
       北緯34度59分1秒,東経138度22分32秒
   【祭神】大己貴命 (配祀)瓊瓊杵命 栲幡千千姫命 東照神
       『神名帳考証』田々彦命

   【例祭】4月5日 廿日会祭
   【社格】旧国幣小社 駿河国総社
   【由緒】崇神天皇の時代に創建
       貞応12年2月22日惣社と富士新宮焼失
       天正7年(1579)9月社殿焼失
       天正14年(1586)造営
       天正18年(1590)正月豊臣秀吉社領保護
       慶長7年(1602)12月8日徳川家康朱印領
       寛永18年(1641)大造営
       慶応元年(1865)造営
       明治6年県社
       同11年5月1日国幣小社

   【関係氏族】
   【鎮座地】天正14年(1586)に府城は築かれている
        この時に神領神門町にあつた神社を現在の地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【公式HP】 静岡浅間神社
   【社殿】本殿流造
       拝殿・回廊・楼門・舞殿・総門・手水舎・中門

   【境内社】麓山神社・八千戈神社・少彦名神社・玉鉾神社
   【境内図】 境内図

神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社を総称して静岡浅間神社という。
神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社からなり、「静岡浅間神社」は総称。三社はいずれも独立の神社として祭祀が行われている。式内社二社(神部神社・大歳御祖神社)、駿河国総社(神部神社)。
大拝殿の奥に神部神社・浅間神社の本殿があり、1棟の建物の向かって左が浅間神社・向かって右が神部神社となっている。
神部神社は草創当時は機織に関する神を祀っていたと推測される。平安時代になつて惣社と呼ばれた時頃から、駿河国の国土開発の意味で大己貴命が祭神と唱えられたと思われる。
浅間神社は延喜元年(901)醍醐天皇の勅願により、富士山本宮浅間神社より分霊を勧請して創建。


由緒

おせんげんさま
ご由緒・ご祭神・ご神徳
神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社を総称して静岡浅間神社(通称おせんげんさま)といい、何れもご創立は千古の昔にさかのぼる。
三社とも鎌倉時代以降、歴代幕府の崇敬を受け、この頃から駿府浅間社と称せられた。
明治21年三社夫々に国幣小社に列せられた。
神部神社(駿河国総社)
●祭神 大己貴命(大国主命の別名)
境内社少彦名神社の祭神とともに、この国土の経営にあたられた。そのご神徳により、延命長寿・縁結び・除災招福の神として信仰される。
●例祭 4月1日〜5日 廿日会祭
●神紋 輪宝
●本殿 比翼三間社流造極彩色 31坪余 〔重文〕
浅間神社(富士新宮)
●祭神 木花開耶姫命
天孫瓊々杵尊の御妃神にまします。
その御神徳により安産・子授け・婦徳円満の神として信仰される。
●神紋 棕櫚葉
●本殿 神部神社と同殿。
大歳御祖神社(奈吾屋大明神)
●祭神 大歳御祖命
別名を神大市姫命と申し、往古の安倍の市の守護神である。
農・漁・工・商業等諸産業の繁栄守護の神として信仰される。
●神紋 立葵
●本殿 三間社流造 10坪 〔重文〕
〔特殊神事〕廿日会祭・節分祭の鬼やらい神事・昇祭・降祭
東海の日光 おせんげんさま
当社は、神部神社・浅間神社(以上二社同殿)及び大歳御祖神社の三社を総称して、静岡浅間神社(通称おせんげんさま)と申し上げ、古くから駿河国総社として広く信仰されている。
江戸時代には徳川氏のあつい崇敬を受けて、寛永・文化年間両度の大造営が行われた。ことに文化元年(1804年)から60年の歳月と、当時の金額で10万両の巨費を投じて建築されたのが、現在の社殿群である。
境内は4万5千m2 。宏壮華麗な社殿群は、いずれも漆塗りの極彩色で、とくに楼閣造りの大拝殿は浅間造りの代表的なもので、高さ25mあり、殿内は132畳敷きの広さがある。
昭和46年6月22日、社殿24棟が、国の重要文化財に指定された。まさに”東海の日光”と 呼ばれるにふさわしいたたずまいである。
また、当社は海外雄飛で有名な山田長政公の産土神としても知られている。
●玉鉾神社
本社の北側に鎮座。社殿は伊勢神宮の御古材にて昭和51年再建された。
例祭 3月29日
祭神は羽倉東麿・岡部真渕・本居宣長・平田篤胤。国学の四大人明治9年県内神官により 官許を得て創祀され、受験・学問の神と仰がれている。
●八千戈神社〔重文〕
本社の左側に鎮座。
もと摩利支天社。
漆塗極彩色(莫に虫つくり・かえる)股の二十四孝彫刻が有名。
例祭 10月15日
八千戈命(本社神部神社の大己貴命の荒御魂)を主神とし、境内の元の末社18社の神々を相殿に祀る。
スポーツ・武道・開運の守護神。
●少彦名神社〔重文〕
境内北部に鎮座。漆塗極彩色。
蟇股の十二支の彫刻が有名。
例祭 1月8日
少彦名命を主神とし、本社神部神社の元の末社14社の神々を相殿に祀る。
当社はもと神官司薬師社と称し、古くから医薬業者の信仰があつい。
●麓山神社〔重文〕
古来、賤機山に鎮座。
「山宮」と称せられた。
本社の別宮。
漆塗極彩色。
例祭 4月22日
大山祇命を主神とし、日本武尊を配祀する。
主神は本社浅間神社の木花開耶姫尊の御父神にまします。
当社は宮元八ケ町の氏神でもある。
●史蹟
賤機山古墳は6世紀頃(今から1500年前)の築造とされ、その規模は大きく、県下随一の 家形石棺を有し出土品の豊富華麗なことは、東海地方に類を見ない。
出土した装身具・武器・馬具・祭祀遺品等多数を、浅間神社の宝物とともに境内の文化財資料館に展示している。
(昭和28年国指定史蹟)
●祭儀
廿日会祭(はつかえさい)
当社の大祭で、毎年4月1日より5日まで行われる。
家康公奉納の稚児舞楽が今も伝承され踟と称する山車屋台の曳廻しもあり、参詣者数十万に及び、全市内が大いに賑わう。
<宝物>
当社の宝物類は、その点数も多く、品目も多岐にわたっている。
その一部は境内の”文化財資料館”に収蔵又は展示され、一般に公開されているが、特に重要な物件は、宝蔵に収蔵されている。
重要文化財の各社殿は極彩色の彫刻や絵画で飾られている。
<当社所蔵の宝物類の品目>
1.古文書・古記録(今川家・武田家・豊臣家・徳川家等)
2.書画・絵図(山田長政戦艦図・大象図・寛文絵図等)
3.棟札(寛永・文化・文政・天保度のもの等多数)
4.扁額・絵馬(三十六歌仙・楼門掲額・大絵馬114面外)
5.古墳(六鈴鏡・神鏡・御正体)
6.楽器(琵琶・和琴・鼓など)
7.武器・武具(太刀・長巻・鎧・腹巻・弓・靭・軍配など)
8.神輿(三代将軍家光公奉納)
9.調度品(狛犬・神服・御杯)
10.宣命(幣帛目録6通など)
11.その他(鉄製釣灯篭・紫石硯・文庫・神宮式年遷宮御神宝・史蹟・賤機山古墳出土品など。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




静岡浅間神社

由緒 三社からなる当社は、海道屈指の名社として朝野のあつい崇敬をうけ、殊に、駿府(現静岡市)に縁の深い徳川家康公の崇敬以来、徳川幕府の宗廟として崇められた。
神部神社 
崇神天皇の御宇(BC50年頃)の鎮座と伝え、延喜式内社で倭文機神社・美和明神とも別称され、この地方最古の社。制による国府がここに置かれ駿河国総社と仰がれた。次の各社と共にそれぞれが旧県社(明治6年)に列格、旧国幣小社(明治21年)に昇格した。
浅間神社
醍醐天皇の勅願により延喜元年(901)富士山本宮浅間大社の分霊を勧請したと伝え、全国1300余社の分祀の内最大最古の社。富士山を神体山と仰ぎ富士新宮と称えられる安産子授けの神。後世、仏説の影響で「センゲン」と音読する。
大歳御祖神社
応神天皇4年(273)の鎮座と伝え、延喜式内社で奈吾屋社、大歳天神とも別称された。上古からの「阿倍乃市(現市街)」の守護神・地主神として崇められてきた。社名は、大年神・倉稲魂神(稲荷大神)の母(御祖)神の意を表している。
この三社は、静岡市街の北北西の方位、「静岡」の地名の由来となる賤機山(賤ヶ丘)の最南端に、神部・浅間両社は東面して、大歳御祖神社は南面して祀られる。古くから朝廷をはじめ、国司、武門、武将が崇敬し、徳川家はもとより、各時代に於いて北条氏(鎌倉幕府)・今川氏・武田氏が社殿の造営・社領の安堵等の赤誠を捧げた。
社殿
「東海の日光」と称揚される社殿群は、全24棟が江戸後期を代表する神社建築として重要文化財に指定されている。舞殿以外は、全て総漆塗・極彩色で、神部・浅間両社の「大拝殿」は、浅間造の特殊建築で棟高21.8mの豪壮な規模を誇り、同「本殿」の彫刻と生彩色の華麗さは、全国に比類を見ない建築装飾の秀作である。
特に彫刻類は、立川和四郎富昌をはじめ立川流一門の爛熟した技を凝らしている。

社頭掲示板



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