寛延4年(1751)に波布離神社(松代)に社名を譲るまでは、波布離神社と称されていた。 当社を式内祝神社に比定する説がある。 |
須々岐水神社 郷社須々岐水神社は、元式内祝神社なるべきも中世國照神社と称し、又雨宮と神事を共にするに及び、山王社と呼べり。故に寛延4年祝神社の號を松代の諏訪社に許可せらる、因りて天明元年改めて須々岐水神の社號を受く、屋代、埴生、杭瀬下、両宮縣、森倉科六町村の水神として尊崇する所なり。 埴科郡志 |
須須岐水神社 須須岐水神社の祭神と由緒 正殿に三柱の祭神 大国主命 国土経営の神 生魂命 生成化育の神 事代主命 大国主命の御子 相殿の左に四柱と右に三柱の祭神 罔象女命 水を主宰する神 豊玉姫命 水路の神 速秋津彦命 水戸の神 速秋津姫命 水戸の神 少彦名命 国土隆営助力の神 保食命 食物を主宰する神 国常立尊 天地を司る神 創立は悠久の古代で、当地における産土の鎮守。 近江の国比叡山日吉社から大国主命=山王権現を勧錆し、山王宮とも称す。やがて、近辺十八郷に灌漑生活用水を供する屋代用水の守護神となる。 正保2(1645)年、現在地に鎮座。 寛延酉(1751)年に波布離神の称を松代に譲り、 安永10(1781)年に現今名の須須岐水神社と改称。 明治14(1881)年6月には郷社に列せられ、また明治末年などには境内社を並置した。 社頭掲示板 |
須須岐水神社 須須岐水神社の本殿 天保14(1843)年3月矢代宿に大火があり、 須須岐水神社の社も類焼した。 早速地元及び氏子域十八郷からの寄付を集め、たまたま近隣武水別神社の建築で当地に滞在していた宮大工、立川富昌を棟梁として、すぐれた彫刻つきの本殿の再建にかかり、嘉永4(1851)年に竣工。 中央欄間に見事な彫刻の親子獅子、木鼻に獅子が見える。 社頭掲示板 |