玉依比売命神社
たまよりひめのみことじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】玉依比売命神社 信濃国 埴科郡鎮座

   【現社名】玉依比売命神社
   【住所】長野県長野市松代町東条 443
       北緯36度33分55秒,東経138度12分57秒
   【祭神】玉依比賣命 天照皇大御神 建御名方命
   【例祭】10月 第1日曜日
   【社格】旧郷社
   【由緒】孝元天皇16年4月16日齋川の地に勧請
       崇神天皇御宇科野國造建五百建命社殿修造
       寛喜2年(1230)8月洪水現在の社地に遷
       建武年間古文書類多く焼失

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初斎川の地(現在の岩沢、東1Km)に勧請
        後同村磯並の地に遷
        寛喜2年(1230)洪水のため現地へ遷
        明治6年4月郷社
        昭和20年12月県社

   【祭祀対象】石
   【祭祀】江戸時代は「磯並三社大明神」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿

   【境内社】宗形社

社殿はもと同村磯並の地にあったものを寛喜2年(1230)洪水のため現地へ遷。


児玉石神事

長野県松城町東条の玉依比売命神社の神宝。県宝。子持ち勾玉を中心に、古墳時代の玉類が多い。最も多いのは、勾玉で490個。ヒスイ製が104個、メノウ製が132個など。管玉、切り子玉、丸玉など、総数591個。全国にも例がない。
この玉、普段は封印されて内陣の中に安置され拝観する事はできない。しかし正月7日、神職と氏子総代によって「児玉石神事」が行われる。神職は覆面をして「玉読み」をし、総代はその側に居て「玉改め」をする。つまり、封印を切って玉を数える、この時玉の数が増減すると言われている。玉の数が増えていれば、その年は豊年であり、減ると凶作である。



玉依比賣命神社

由緒
 神社創建の縁起によれば、「人皇八代孝元天皇16年4月16日東条斎川の地に勧請された」とあり、斎川は現在の岩沢である。その後磯並(現在の中川)に移り、磯並三社大明神と称した。現在の地に鎮座してのは寛喜2年(1230年)と伝える。
 延長5年(927年)左大臣藤原忠平らにより撰進された延喜式五十巻の中の神名帳に記載された信濃国四十八座の式内社の一つとして、その歴史は極めて古い。
現社殿は天保4年(1833年)に改築された、八棟造りを模した荘厳な建築である。
祭神
主祭神
玉依比賣命(初代神武天皇の母神)
合祀
天照皇太神・建御名方命・素戔鳴命
主たる神事
御田祭
正月6日の午後、神社拝殿において古くから 行われている豊作祈願の神事
児玉石神事
御田祭の翌7日早朝より、神社の神宝で県宝にも指定されている古墳時代からの翡翠の勾玉・管玉などを主とした「児玉石」の数を改める。平成23年は827個。今も 玉の数の増減でその年の吉凶を占う。
五穀御判事
児玉石神事の横で氏子総代たちが集まり作物の神占いを行う。稲や大麦、小麦など九種類の穀物の作柄の上・中・下を占う。
恒例祭
祈年祭、例大祭、新嘗祭、歳旦祭ほか

社頭掲示板



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