玉依比売命神社
たまよりひめのみことじんじゃ


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【埴科郡村誌】
玉依比売姫命神社
村中央字内田耕地天王山南麓にあり、祭神玉依比売命相殿天照皇大御神・健御名方命・健速素戔嗚尊合斉す祭日4月22日・10月11日、… …神武天皇の御母たるを以て其最初、当村字市川の地に鎮祭せり市川は斉川の転化にして即ち此神を祭りたるによる名なりと云う伝来尚遺跡を存す、爾来幾多の星霜を累て溢水量退き川脈をなし土壕暫く開くるに及びて神告あり、曰く「我剣を投げ降さんに、其留まる所に宮造りして遷し斉うべし」と、茲に因て其御宝剣の所在を求むるに、本村字磯並の地に留まりたるを以て、のち神誨に随いて神殿を造建し遷祭せしと云う遺跡今尚現存す、尤も往古の伝記を近古の兵変に罹り今亡きを以て草創以来転遷の年月等を詳らかにし難しと雖も、其後許多の年次を経て、寛喜2年現今池田ノ社地に遷座せること等は社記に詳かなり、蓋し耕田漸次に開け民屋随て平地に増殖せるの故に依ると云えり、


【社地の変遷】

玉依比売命神社は孝元天皇16年4月16日齋川の地に勧請された。この地には明治の初めまで「一川社」と称する社があり、玉依比売命神社旧跡といわれていた。
その後、磯並の地に遷した。磯並の地には磯並社と称する社が明治の初めまで存在した。
寛喜2年(1230)8月洪水のため現在の社地に遷した。


【埴科郡村誌】

一川社
 本村卯(東)の方字上岩沢耕地にあり、祭神玉依比売命・建御名方命合斉す、祭日4月15日、当社は往古玉依比売命神社宮居草創の地にして、今尚数種の老木枝を茂り実に神風赫々たる旧跡なり、遷座勧請は上古にあって年月詳らかならず、
磯並社
 本村中央字内田耕地にあり、祭神玉依比売命、祭日7月9日、当社は往昔玉依比売命神社宮地にして、寛喜2年現今池田ノ社地へ遷座の後、遺趾を崇祭する所と云う、寛保2年の頃迄境内広濶四方深壕を存し、昭々たる神域たりしか、又同年8月暴雨洪水の際、全部土砂流出し悉く此地に潟入したるを以て漸次耕田に変し、今存する所僅少に至れり





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