諏訪大社と共に風祝(かぜのはふり)の勅祭が勤行されたという。 明治11年まで善光寺境内北裏にあって年神堂八幡宮と称したが明治12年現地に遷。 寅年・申年には武井神社・妻科神社・湯福神社との持ち回りで御柱祭が行われる。 当社が建御名方命を祀るのに対して、武井神社はその和魂を、湯福神社はその荒魂を祀り、妻科神社がその妻を祀るとされ、四社が対になっているともされる。 当社以外の三社は善光寺三鎮守(善光寺三社)で、いずれも善光寺七社に含まれている。 |
木匠祖神社 御由緒 城山県社水内大社の西境内に上世より末社として鎮座されてあらせます木匠祖神社は明治14年8月4日長野市内の工匠諸職の道祖神として祭祀されたお社で、祭神は手置帆命・彦狭智命・聖徳太子の三柱です。 後、明治30年11月に修理をなす。戦後の祭典執行中止と合わせてお社の荒廃著しく昭和48年春秋の祭典時に復興新築御道営の志を得、翌昭和49年3月より解体御造営事業が進められ同年9月の秋祭に正遷宮報告祭が謹行され現在の神明造りの立派なお社に生まれかわる。 社頭石碑 |