社地西方瀬原田には古墳群があり、布施朝臣の居舘跡と伝えられる長者窪がある 第八代孝元天皇の皇子大彦命の本貫を瀬原田の長者窪に移し、北陸を巡按し、東夷を鎭撫させたが終に長者窪に於て薨ぜられた。その埋葬地を將軍塚といつてその古墳が海道北山に現存している。その子孫布勢朝臣この地に尋ねて父職を襲ぎ、よく地方を統治した。その徳澤に浴した数里にわたる地域を布施郷といつた。後布施助重・冠者頼直等を経て、正直の時代に至り御祖大彦命の神霊を鎭齋し奉り、布制神社を奉称した。 布施郷の郷名は布施屋から生じたといわれる。布施屋は旅人の路傍の宿舎でその形状から伏屋とも書いた。その旅人にその地の長者が食物等を施したので、いつしか布施屋と称するようになつたといわれる。 |
布制神社 布制神社御由緒 鎮座地 長野市篠ノ井布施五明下六反 祭神 主神 大彦命 配神 豊受比売大神 健御名方命 矢坂斗女命 由緒 祭神の大彦命は第八代孝元天皇の御子で布施氏の祖先にあたる神様です。日本書記によると、崇神天皇が地方平定のため四道将軍を派遣されたとき北陸道に派遣されたのが大彦命です。伝承によれば、命は布施五明海道北山(瀬原田)の長者窪を本拠に、北陸道や北信濃を鎮撫し当地で薨じられたといわれています。 神社の創建は明らかではありませんが、わが国最古の官社名を記した「延喜式神名帳」(927年)に記載されている由緒ある神社です。 以前の社殿は善光寺大地震で倒壊後、嘉永4年(1851)に造営されたものでした。しかし、百五十年を経て老朽化が激しくなり、平成15年9月、全面改築が行われ現在の社殿が完成しました。社殿最奥には文化6年に造営された一間社流造で花鳥風月の彫刻を多く施した本殿が安置されています。 社頭掲示板 |