下社春宮と秋宮は対等の地位に置かれ、二宮を以つて一社を構成している。 下社の祭神は、2月から7月まで春宮に鎮座し、8月1日の御舟祭で秋宮に遷座し、翌2月1日に帰座される。 |
由緒 下社秋宮 中央線下諏訪駅の東北約1キロ、春宮からも東へほゞ1キロの地点で、旧中仙道と甲州街道の分岐点の要所に鎮座しています。 鳥居を入ってまず目に付く正面の大きな木はネイリの杉と呼ばれ樹令は六七百年、大社の御神木の一つです。身長一米七十青銅製では日本一と言われる狛犬を両脇に従えた神楽殿は三方切妻造りで天保6年(1835)立川和四郎二代目富昌の作です。御社殿は神楽殿の奥で、二重楼門造りの拝殿と左片拝殿及び右片拝殿が横に並びます。これ等の建物は江戸時代中期の絵図面では帝屋(御門戸屋)及び回廊と記されており、現在の建物は安永十年(1781)春に立川和四郎初代富棟の棟梁で落成しました。 拝殿奥の神明造りの建物は御宝殿で、新しい方を神殿、古い方を権殿と呼び、寅年と申年毎に左右の御遷座祭を行ないます。当社の御宝殿は上社、下社共に平素二殿並んでいます。室町時代の記録では新築後六年間雨風に晒し清めて御遷座をなし、直ちに旧殿を解体新築という形式だったようですが、いつしかこれが逆になり、祭典の直前に旧殿を建直して神殿に御遷座するようになりました。 御宝殿の奥が御神座とも相殿とも言われ、御神木をお祀りする下社の最も重要な場所です。上社の神体山に対し下社は御神木を御神体としてお祀りし、古代祭祀の形式を今に残しております。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
下社秋宮 重要文化財指定 昭和58年12月26日指定 一、諏訪神社下社秋宮幣拝殿 この幣詳殿は安永6年(1777)に起工同10年に落成した。 工匠は諏訪出身の初代立川和四郎富棟で、彼は当時盛んになった立川流建築を学び、彫刻は中沢五兵衛につき、いくつかの名建築を残した。軒まわりその他に彫刻が多く華麗なのは当時の流行であり、それがすべて素木の生地を生かして清楚である。彫刻にに独得のおおらさがあり拝殿内部の竹に鶴などは代表作である。 重要文化財指定 一、諏訪大社下社秋宮神楽殿 昭和58年12月26日指定 一、諏訪大社下社秋宮神楽殿 この神楽殿は二代立川和四郎富昌の作である。 披は技をすべで父にうけ、天敏の才能と異常な努力で立川流の最高をさわめ,幕府から内匠の称号を許されたはずの名匠である乙の神楽殿は天保6年(1835)富五十四才の作で父の建てた華麗な幣拝澱の前に荘重なものをつくってよく調和させ幣拝殿をひき立たせているところが賞讃される。 昭和60年3月 長野県教育委員会 下謙訪町教育員会 社頭掲示板 |
下社秋宮 幣拝殿(へいはいでん) 国重要文化財 この建物は御幣を奉ずる幣殿と拝殿が一体となったものです。 二重楼門造りと呼ばれ、二階は跳勾欄(先の反った欄干)を回し全体に見事な彫刻が施されております。 諏訪高島藩の命により安永10年(1781)に初代(立川流)棟梁立川和四郎富棟によって造営されました。 社頭掲示板 |
下社秋宮 左右片拝殿(国重要文化財) 安永10年(1781)初代立川和四郎富棟により造営された。 幣拝殿と比べ彫刻などは見られず江戸時代の記録には幣拝殿は帝屋(御門戸屋)拝殿は(回廊)と記されております。 社頭掲示板 |