諏訪大社上社本宮
すわたいしゃかみしゃほんみや 所在地 社名















   【延喜式神名帳】南方刀美神社 二座(名神) 信濃国 諏訪郡鎮座
          (諏訪大社)諏訪大社

   【現社名】諏訪大社上社本宮
   【住所】長野県諏訪市大字中洲字宮山1
       北緯35度59分53秒,東経138度7分10秒
   【祭神】建御名方神 八坂刀売神
   【例祭】4月15日 例祭
   【社格】旧官幣大社 信濃一宮
   【由緒】持統天皇紀5年信濃国須波神を祀る
       承和9年(843)南方刀美神従五位下
       同10月八坂刀売神従五位下
       嘉祥3年10月健御名方富命前八坂刀売命神並従五位上
       仁寿元年10月建御名方富命前八坂刀売命従三位
       貞観元年正月27日建御名方富命従二位、八坂刀売命正三位
       貞観9年3月11日建御名方富命従一位、八坂刀目命正二位
       天暦2年3月諏訪神正一位
       明治4(1871)年国幣中社
       明治29(1896)年官幣中社
       大正5(1916)年官幣大社

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初より此の地に鎮座

   【祭祀対象】大祝信仰に加えて、宮山及び守屋山を神体山とする祭祀
   【祭祀】中世「諏訪法性大明神」と称していた
   【社殿】
       東宝殿 西宝殿殿 幣殿 拝殿 左片拝殿 右片拝殿 脇片拝殿
       神樂殿 四脚門 布橋 勅使殿 勅願殿 天流水舎 入口門
       塀重門 摂末社遙拝所 五問廊 文庫 齋館 社務所 宝物館

   【境内社】若宮社・荒玉社・磯並社・磯並山社
        下馬社・瀬神社・穂股社・玉尾社・大年社・犬射原社
        大国主命社・御頭御社宮司社・御射山社・國常立命社
        大四御盧社・浅間社・磯並社・子安社・西宮社・神功皇后社
        三輪社・高島神社・出早社・荻宮社・千野川社・事代主命社
        藤島社・御小屋明神社

   【境内図】 境内図

諏訪民族より神聖視されている守屋山の北東、宮山の麓に鎭座する。
社殿配置等から、大祝信仰に加えて、宮山及び守屋山を神体山とする祭祀が行われたものと考えられる。


由緒

上社本宮 中央線上諏訪駅から東南へ6キロ、守屋山の山麓で中部地方唯一と言われる原生林に抱かれる如くに鎮座しております。諏訪大社は社殿の四隅におんばしらと呼ぶ大木が建ち幣拝殿や左右片拝殿が横に並び、本殿を欠く等社殿の配置にも独特の形を備えていますが、中でも本宮は諏訪造りの代表的なもので、建造物も四社の中で一番多く残っています。また神体山をお祀りするという大きな特徴を持ち、祭祀研究の上からも注目されております。
境内のほゞ真ん中に東御宝殿、西御宝殿と言う二棟の茅葺の建物があります。本宮で最も大切な御殿で、寅年と申年毎に交互に建替がなされ遷座祭が行なわれます。軒からはどんなに干天の日でも最低三粒は水滴が落ちるといわれ、七不思議の一つに挙げられ、諏訪大神が水の守護神として広く崇敬される所以にもなっております。
本宮の昔の建物は極彩色が施され、御社殿以下建物が沢山並んでいましたが、天正10年(1582)に織田信長の兵火のために、山中に逃れた神輿の他はすべて焼失しました。この時まず仮殿が作られ順次再建された社殿は元和3年(1617)に完成しました。その後約二百年を経て諏訪藩主に依り社殿の改築が計画され、立川和四郎二代目富昌が地元の宮大工と共に事に当たり、天保2年から9年(1838)迄八年の歳月を要し現在の社殿が落成し、立川流の代表的建築物とも目されております。尚旧殿の拝殿は嘉永2年(1849)に群内富士見町乙事の諏訪神社へ移築され、桃山時代の代表的建造物として重要文化財に指定されております。
本宮最古の建物は四脚門で、慶長13年(1608)徳川家康が家臣大久保石見守長安に命じ、国家の安泰を祈願して造営寄進したもので、別名を勅使門とも言います。
神楽殿は文政10年(1827)の建立で、色々な神楽が連日行なわれていたようですが、残念なことにその神楽は現在絶えております。中にある大太鼓は江戸時代のもので、唯今では元旦の朝のみ打つことにしております。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




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